トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.351鰍沢河岸跡
ページID:46566更新日:2017年6月22日
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富士川町の遺跡
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平成12年から19年にかけて、6回に渡って発掘調査が行われた「鰍沢河岸跡」。ここからは、河岸問屋、船宿などの家屋、道路、番所、年貢米を収めた米蔵などが確認されました。 鰍沢河岸は、江戸時代、富士川の流れを利用して行われた舟運の河港でありました。中でも、青柳河岸(南巨摩郡富士川町)、黒沢河岸(西八代郡市川三郷町)とともに甲州三河岸といわれ、一大商業地として、隆盛を誇りました。 主な出土遺物としては、磁器や陶器があげられます。磁器には、花や動物、人物など様々な文様が施されています。 その中に、物語が描かれた碗(お茶碗)がありました。男性が傘をかぶり、鍬を持つ様子が描かれています。また、横には、竹の文様が描かれています。 中国の『二十四孝』の中にある「孟宗」という物語です。 孟宗は、幼いころ父親を亡くし、母と二人で生活していました。母は病気で寝込んでいました。ある日、母は筍が食べたいと孟宗に告げました。時期は冬。筍が生えている季節ではありませんでしたが、孟宗は、母のために竹林に入り雪の中、筍を探しました。 探しても、生えているはずもなく、あきらめて天に祈ったところ、親孝行の孟宗の願いが天に届き、雪が解け土の中から筍が出てきました。 孟宗は、急いでこの筍を持ち帰り、母に食べさせました。母は体がよくなり長生きしました。 という話の一部分を描写したものです。 ちなみにこの物語の主人公である孟宗が「孟宗竹」の名前の由来と言われています。 <参考文献・引用文献> 山梨県埋蔵文化財センター2005『鰍沢河岸跡2.』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第224集 |