トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0035鰍沢河岸跡
ページID:4417更新日:2017年6月16日
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富士川町の遺跡
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鰍沢河岸跡C〔かじかざわかしあとC〕富士川舟運の川港である鰍沢河岸跡の一部である鰍沢河岸跡Cは、江戸時代から明治・大正時代にかけての遺跡です。国土交通省による甲西道路建設に先立って平成17年6月から10月にかけて発掘調査を行いました。
遺跡トピックスNo.0025やNo.0027で紹介した遺構以外にも鰍沢河岸跡Cからは多くの遺構が出土しています。
今回の発掘調査によって、複雑に入り組んだ家の区画や道が確認されたので紹介します。
遺跡全景
調査風景 出土した遺構道
写真1
写真2
写真3 今回の調査では、深さ2m程度まで掘り下げましたが最も深い所でも江戸時代です。写真のように複雑に交差した石垣が現れました。
石垣は家の敷地を造成し、区画するもので、たくさんの家が立ち並んでいた様子がわかります。
写真1の右側や写真3の中央で石垣が上下2段になっている所がありました。これは、富士川などの氾濫によって石垣が埋れたため、その上に積み足されたものです。
調査区の最も深い所では、石が敷かれた道が確認されました(写真1)。道を埋めている土は、川から運ばれてきた泥や砂で何層にも重なって埋まっており、その中からは火事で焼かれた土も入っていました。道はさらに写真2(中央石垣前面)、写真3(中央石敷き部分)へと繋がっていて、古い地籍図にもあることが分かりました。
現在では、町外れにあたるこの場所に江戸や明治の家の区画や道が整備され、川辺近くまで町並み広がっていて、川の氾濫で埋まってしまったことが分かりました。 |