トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0005鰍沢河岸跡
ページID:4438更新日:2017年6月9日
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富士川町の遺跡
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鰍沢河岸跡〔かじかざわかしあと〕鰍沢河岸は、青柳河岸(富士川町、旧増穂町)・黒沢河岸(市川三郷町)とともに三河岸とよばれた富士川水運の拠点的な河岸の一つで、年貢米の輸送を主な役割とし、また、塩などを甲信地域に運び入れることで利益を上げ、物流経済の中心として発展した川港でした。
所在地:富士川町(旧鰍沢町) 時代:江戸時代~明治・大正時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第148集1998(平成10年)刊ほか 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター [写真]甲府代官所の年貢米を集積した御米蔵跡 出土した遺物[写真]鰍沢河岸跡から出土した代表的な泥めんこ(左上)恵比寿の拡大写真(右上)
東京の遺跡などから出土する泥めんこは円盤状で文字や家紋の入ったものが主体であるのに対して、鰍沢河岸跡から出土したものは様々なモチーフを模ったもの、特に恵比寿・大黒・宝船・亀などの縁起物が多いことが特徴的です。1~3cm程の小さなものですが、とても精巧にできています。
泥めんこの多くが寛永通宝などの銭貨と共に建物の基礎下の地盤から出土しました。このことから商売繁盛や家内安全などの願いを込めて奉納されたものではないかと考えられます。
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