トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0117鰍沢河岸跡
ページID:4495更新日:2016年2月1日
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富士川町の遺跡
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写真(熱を受けた痕跡がある)五枚組の中皿
これは鰍沢河岸跡から出土した五枚組の磁器の皿です。写真ではわかりにくいのですが、ふつうの磁器に比べると、表面の光沢がなく、しかもザラついています。さらに、割れ口をみても、落として割れたにしては、妙な形です。 この皿を、調べていったところ、鰍沢河岸が被った災害の痕跡が刻まれていることがわかりました。 写真五枚組の中皿の実測図
これは五枚の磁器の皿の実測図(白黒)です。絵柄の上にある線は、割れ口を描いたものです。この形は、落としたり、ぶつけたりした衝撃で割れたものとは思えません。 そうです、高温にさらされ、ゆがみに耐えきれずに割れたものなのです。表面のザラザラになったのは、熱により表面のガラス質の釉薬が溶けたからなのです。 写真五枚組の中皿の実測図
五枚の皿の割れ口の位置を観察すると、似ています。どうやら、重なった状態で熱を受けたらしいのです。非常な高温に達するというのは、陶磁器を焼く窯(かま)の可能性がありますが、この磁器は九州産なので、こんな出来そこないがはるばる運ばれてきたとは考えられません。 文政大火とは…鰍沢河岸では、文政4四年(1821)正月に、年貢米を収めた御米蔵をはじめとして河岸問屋街の中心の70軒の家が焼けるという大事件となった文政大火がありました。五枚の皿は、このときに焼けたものなのです。(遺跡トピックスNo.0068大火事) 鰍沢河岸遺跡遺跡トピックス鰍沢河岸跡は、甲府盆地を代表する二大河川である笛吹川と釜無川の合流点からやや下流に位置する、江戸時代はじめに開かれた富士川水運の船着場を中心とする近世・近代の遺跡です。過去遺跡トピックスもあわせてご覧ください。
熱を受けた痕跡がある酒器
写真熱を受けた痕跡がある酒器
この酒器も写真では区別が難しいかもしれませんが、表面に光沢がなく、ザラついています。この時代に流行した「蛸唐草文」で飾られた肥前産の高級品です。これをつかったのは、裕福な商家の旦那(だんな)だったのでしょうか。
火災で熱を受けた痕跡は郵便の消印のようなものです。文政4年の正月に、まさしくここ鰍沢河岸に実際に存在した道具であることが証明されているのです。
甲府盆地への陶磁器の流通は、富士川舟運を経て、ここ鰍沢河岸を通って、甲府城下など各地へ運ばれていました。ここでの出土品は、この当時の甲府盆地の陶磁器の普及の様子を物語るものと言えます。 |