印刷
ページID:27379更新日:2015年12月14日
ここから本文です。
遺跡トピックスNo.208鰍沢河岸跡(富士川町)
富士川町の遺跡
|
【鰍沢河岸跡の概要】
鰍沢河岸跡は、江戸時代に甲信地域の各地から集めた大量の年貢米を江戸へ運び出すために富士川沿いに開かれた、いわば川の港です。また塩をはじめとする様々なものを甲信地域に運び入れる役割をも果たしており、昭和はじめに身延線が甲府まで全線開通するまで大いに栄えた場所でした。発掘調査によって、そこで暮らす人々の日常生活の様子やその港を支えた米蔵、問屋や飲食店などが立ち並ぶ活気あふれる賑わいの風景が浮かび上がってきました。
◆所在地山梨県富士川町(旧鰍沢町)1374-5外
◆時代近世・近代
◆調査機関山梨県埋蔵文化財センター
◆報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書
第148集1998年刊行
第224集2005年刊行
第238集2006年刊行
第245集2007年刊行
第254集2008年刊行
※なお、現在も一部において鰍沢町町教育委員会による発掘調査が行われています。

【陶器製の容器】
この容器は、熱湯を入れて蒲団の足下へ入れて使われていた陶器製の湯たんぽです。お湯がこぼれないように栓をし、やけどをしないように布を巻いたりしました。最初は温かいですが、蒲団の中が暖まっていくと、段々と冷めていくので、必要以上に熱くならず体にやさしいのが特徴です。冬場、寝ている時に手足を温めるのに使うのが一般的で、朝には冷めてぬるま湯となったものを洗顔にも使いました。
電気アンカが普及すると姿を消しましたが、昔の家は周囲も間仕切り戸や障子であったため冬はとても寒く、現在のような温かい蒲団も十分ではなかったので、安全で便利な一人用省エネ暖房用具として広く使われていました。
電気を使わないので環境に良いと最近見直されています。是非、足下からエコライフを始めてみてはいかがでしょうか。
次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
山梨県埋蔵文化財センタートップへ
|