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ページID:4421更新日:2017年6月22日

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遺跡トピックスNo.0048鰍沢河岸跡(口留番所跡)

富士川町の遺跡

  • 0005鰍沢河岸跡-泥めんこ-
  • 0025鰍沢河岸跡-礎石建物跡・井戸-
  • 0027鰍沢河岸跡-石垣・粘土枠遺構-
  • 0030鰍沢河岸跡-口留番所跡-
  • 0035鰍沢河岸跡-道・区画-
  • 0047鰍沢河岸跡-胞衣壺-
  • 0048鰍沢河岸跡-磁器・泥めんこ-
  • 0068鰍沢河岸跡-文政の大火-
  • 0092鰍沢河岸跡-目薬瓶-
  • 0113鰍沢河岸跡-元禄一分判金-
  • 0117鰍沢河岸跡-文政の大火と磁器-
  • 0188鰍沢河岸跡-荷物置き場-
  • 0203鰍沢河岸跡-竹製の水道管-
  • 0208鰍沢河岸跡-陶器製湯たんぽ-
  • 0242鰍沢河岸跡-御蔵台-
  • 0270鰍沢河岸跡-うさぎ文様の茶碗-
  • 0351鰍沢河岸跡-お茶碗にみるものがたり-
  • 0359鰍沢河岸跡-統制番号製品-
  • 0015町屋口遺跡-水路・道路-
  • 0291町屋口遺跡-明治時代の磁器-
  • 0360町屋口遺跡-河岸お蔵道-
  • 0114青柳河岸跡-石垣-
  • 0158平野遺跡-焼失住居跡-
  • 0375鰍沢河岸跡-泥めんこ-

磁器や泥メンコが出土しました!

DSC_0023

写真:出土した磁器

鰍沢河岸跡の最南端に位置する口留番所は、江戸幕府が設置した小規模な関所です。この口留番所は、交通の要所に設置され、人や物資の出入りを監視した施設です。
平成17年度の発掘調査では、寛永通宝・文久永宝といった銭や子供の遊び道具などに使用された泥メンコ、当時の食器として使われた陶磁器片などが出土しました。

口留番所跡

鰍沢口留番所跡は、江戸時代から明治・大正時代にかけて富士川を利用した河川交通、富士川舟運の川港である鰍沢河岸の最南端に位置する遺跡です。
遺跡トピックスNo.0030で石垣や礎石建物跡について紹介しました。

口留番所の遺構は硬く踏みしめられた広場などですが、周囲は番所が廃止された明治2年以降に埋められ宅地となりました。出土品の大半はこの宅地に関係するものでした。
その出土品について紹介します。

 

所在地富士川町(旧鰍沢町)

時代江戸時代~明治・大正時代

調査機関山梨県埋蔵文化財センター

報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第238集『鰍沢河岸跡4.』2006年(平成18年)3月刊行

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写真左:調査区全景

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写真:作業風景

出土した遺物

口留番所の広場などからは、ほとんど出土品はありませんでした。
それは、人や物資の出入りをチェックする場所であった口留番所は、清潔に保たれており、生活廃棄物を捨てることができなかったからだと考えられます。

口留番所が廃止された明治2年以降に家が建つようになってからゴミとして廃棄されたり、造成層の中に混入したものとして陶磁器、泥メンコ、銭貨、金属製品、石製品などが出土しました。

磁器

img04型紙摺りimg03銅版転写

上の写真は、磁器の皿で、青色や緑色の細かな文様が独特な絵付け法で描かれています。

写真左.型紙摺り:文様を切り抜いた丈夫な型紙を器の面に当て、その上から顔料を塗り込む技法です。(明治15年頃から明治後半)

写真右.銅版転写:エッチングという銅版を使い、紙に図柄を写し、さらに紙から器の表面に写して絵付けをする技法です。(明治20年代から大正期)

泥メンコ

DSC_0045泥メンコ

泥メンコは、粘土を型で抜き、焼いて作った1~3cm程の小型の土製品です。鰍沢河岸跡からは、七福神や海老、亀など様々な種類の泥メンコが出土しています。子供の遊び道具とされています。

今回出土した泥メンコは、写真などに見られるような大黒様や宝ぶくろなど「縁起物」を模った泥メンコが数多く出土しています。

 

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