トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0048鰍沢河岸跡(口留番所跡)
ページID:4421更新日:2017年6月22日
ここから本文です。
富士川町の遺跡
|
磁器や泥メンコが出土しました!写真:出土した磁器 鰍沢河岸跡の最南端に位置する口留番所は、江戸幕府が設置した小規模な関所です。この口留番所は、交通の要所に設置され、人や物資の出入りを監視した施設です。 口留番所跡鰍沢口留番所跡は、江戸時代から明治・大正時代にかけて富士川を利用した河川交通、富士川舟運の川港である鰍沢河岸の最南端に位置する遺跡です。 口留番所の遺構は硬く踏みしめられた広場などですが、周囲は番所が廃止された明治2年以降に埋められ宅地となりました。出土品の大半はこの宅地に関係するものでした。
所在地富士川町(旧鰍沢町) 時代江戸時代~明治・大正時代 調査機関山梨県埋蔵文化財センター 報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第238集『鰍沢河岸跡4.』2006年(平成18年)3月刊行 写真左:調査区全景 写真:作業風景 出土した遺物口留番所の広場などからは、ほとんど出土品はありませんでした。 口留番所が廃止された明治2年以降に家が建つようになってからゴミとして廃棄されたり、造成層の中に混入したものとして陶磁器、泥メンコ、銭貨、金属製品、石製品などが出土しました。 磁器型紙摺り銅版転写 上の写真は、磁器の皿で、青色や緑色の細かな文様が独特な絵付け法で描かれています。 写真左.型紙摺り:文様を切り抜いた丈夫な型紙を器の面に当て、その上から顔料を塗り込む技法です。(明治15年頃から明治後半) 写真右.銅版転写:エッチングという銅版を使い、紙に図柄を写し、さらに紙から器の表面に写して絵付けをする技法です。(明治20年代から大正期) 泥メンコ泥メンコ 泥メンコは、粘土を型で抜き、焼いて作った1~3cm程の小型の土製品です。鰍沢河岸跡からは、七福神や海老、亀など様々な種類の泥メンコが出土しています。子供の遊び道具とされています。 今回出土した泥メンコは、写真などに見られるような大黒様や宝ぶくろなど「縁起物」を模った泥メンコが数多く出土しています。 |