トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0025鰍沢河岸跡
ページID:4456更新日:2017年6月22日
ここから本文です。
富士川町の遺跡
|
鰍沢河岸跡Cは、江戸時代から明治・大正時代にかけての遺跡です。富士川舟運の川の港である鰍沢河岸の一部です。今回発掘した地点は、鰍沢河岸跡の最北端で、富士川町(旧鰍沢町)横町地区(山梨交通営業所裏)に位置します。 遺跡は6区に分けて調査しました。今回は山梨交通営業所裏の南東部にあたる
所在地富士川町(旧鰍沢町)横町(山梨交通鰍沢営業所裏) 時代江戸時代~明治・大正時代 調査機関山梨県埋蔵文化財センター 〔写真〕鰍沢河岸跡C1区全体図 遺跡概要1区では、砂層の下から石垣で囲まれた焼土面を伴う礎石建物跡や井戸が確認されました。 こうした遺構は、調査区の南側を流れる南川の氾濫で1m以上の厚い砂層で埋められたと思われます。 また、四方を石垣で囲まれた地下構造物が確認されました。残っている最も残りの良い石垣の高さは2m程度で、内側の床面は硬く踏み締められていました。 1区作業風景 中央石垣奥に見える土台の上の焼土面を伴う礎石建物 四方を石垣で囲まれた地下構造物 |