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ページID:27486更新日:2017年5月8日
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笛吹市の遺跡
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稲山遺跡出土の常滑大甕(とこなめおおがめ)口縁部について稲山遺跡は、昨年度山梨リニア実験線建設に先立ち発掘調査が行われた遺跡です。 常滑焼とは? 常滑焼(とこなめやき)は、愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれており、製品は、碗(わん)・皿・鉢(はち)・壷(つぼ)・甕(かめ)・※瓶(へい)・瓦類等がみられ、特に壷や甕類等の大型の容器は、常滑焼の代表的なものです。 瓶<液体を入れる容器> 甕の用途と使い方。 常滑では中世から幕末までの約800年間、主に「甕」を生産し、全国に出荷してます。これは、日本の各地の遺跡から常滑の甕の破片が出土していることからも裏付けられます。こんなに多くの甕をいったいどんな用途に使ったのでしょう。 安政4年(1857)の文献には「穀物・水・油・藍・味噌・醤油の保管に良い」と書かれています。当時は冷蔵庫も米櫃(こめびつ)も袋も、ましてやペットボトルなど無い時代です。甕はいろいろなものを貯蔵するために使われました。 また、山梨県内の調査事例として、小判が入った甕が見つかったり、骨が入った甕が見つかったりします。このように甕は時には金庫だったり、お棺だったり、正に万能の収納庫だったと思われます。 上の写真は、甲州市大和町(こうしゅうしやまとちょう)にある棲雲寺(せいうんじ)開山の墓所、宝篋印塔(ほうきょういんとう)下部より出土した常滑焼の大甕で県の有形文化財(考古資料)に指定されています。 常滑大甕は「口縁部の形状」と「肩の張り」に、時代ごとの特徴があります。 参考:【宝篋印塔】→遺跡トピックスNo.193県内最大級の宝篋印塔 県指定史跡~徳川家康側室養珠院墓所大野山本遠寺
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