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ページID:4407更新日:2017年5月19日
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富士河口湖町の遺跡0029滝沢遺跡-平安時代住居・土錘-0034滝沢遺跡-墨書土器-0056滝沢遺跡-桃の種-0334滝沢遺跡-叩き甕-0386滝沢遺跡-発掘調査速報-0395滝沢遺跡-転用硯-0095塚越遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0177塚越遺跡-網代-0121富士山二合目行者堂跡-石列-0195炭焼遺跡-火打ち金-0248富士山と信仰の道0282冨士御室浅間神社里宮-片山社-0304富士山二合目行者堂跡-灯明皿-0327冨士御室浅間神社二合目本宮境内地遺跡-石碑が語る信仰の道- |
滝沢遺跡[たきざわいせき]滝沢遺跡は、弥生・古墳・平安時代の遺跡です。山梨県南都留郡富士河口湖町河口地区、河口湖の北東1kmに位置します。国道137号線河口第2期バイパス道路の建設に伴って、2005年(平成17年)5月から10月にかけて発掘調査を行いました。
遺跡は1区から3区の3区間にわけて発掘調査を行いました。調査区全体で平安時代の竪穴住居跡14軒が確認できました。
平安時代の河口地区には官道(今で言う国道)が通っており、馬を常に置いておいた駅、河口駅があったと言われています。この滝沢遺跡から発見された平安時代の住居跡は当時の官道沿いに広がっていた集落の一部であると考えられます。(詳細は遺跡トピックスNo.0029滝沢遺跡を参照して下さい。)
所在地:南都留郡富士河口湖町河口 時代:弥生時代・古墳時代・平安時代 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター [写真]滝沢遺跡全景(写真左が北) 確認された遺構平安時代の竪穴住居では、料理をするために火を燃やす部分を石や粘土で覆った「カマド」という施設が壁際につくられました。滝沢遺跡で発見された竪穴住居跡のカマドでは、火を燃やす部分を覆うための石として、遺跡の周辺にはない溶岩を使用しています。遺跡周辺の石は、熱を受けると割れやすく、カマドをつくる材料としては向かないので、わざわざ溶岩を運んできたようです。
火は調理、照明など人間に様々な恩恵を与えてくれました。逆に火事などの災いをもたらすこともありました。この為、昔からカマドなどの火を扱う場所には火の神様が存在し、粗末に扱うと人々に災いをもたらすと信じられていたようです。県内外の平安時代の住居跡においても、カマドを使用しなくなる場合は、天井を抜くなど壊して使用できなくした例が多く見られます。カマドの神様の魂を抜く儀式を行ったのでしょうか。このように発掘調査からも当時の人々がカマドを神聖な場所として捉えていたことがわかります。 [写真]左1区2号住居跡 右1区2号住居内カマド跡 出土遺物滝沢遺跡で発見された竪穴住居跡からも、カマドの神様に対する儀式が行われた痕跡が見られます。1区2号住居跡のカマドの壁として使われた溶岩近くからは「本(別字)人」と書かれた墨書土器の皿が2枚出土しました。また、カマドの中の炭を人為的に掻き出した状況が見られました。今のところ皿に書かれた文字の意味はわかっていませんが、カマドが使われなくなったことを神様に伝えるための儀式を行ったのではないかと考えられます。 [写真]左墨書土器出土状況 右「本(別字)人」と書かれた墨書土器 |