トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス0064西畑B遺跡
ページID:4605更新日:2017年6月16日
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甲州市の遺跡
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遺西畑B遺跡は国道411号塩山バイパス建設に伴って、平成18年7月5日から8月16日にかけて、発掘調査が行われました。
西畑B遺跡は、古い旧河道にあたり、人の頭くらいの大きさの石を覆うように、砂や粘土が堆積しており、その層の中から遺物が出土しました。
調査地点甲州市塩山赤尾672外 時代縄文時代・中世 調査期間平成17年7月5日~8月16日 調査機関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター (写真左:西畑B遺跡北半全景写真右:発掘調査風景) 出土した遺物西畑B遺跡から出土した遺物は、14世紀から16世紀の素焼きのカワラケや、内耳土器、縄文土器片、黒曜石などです。 (写真左:内耳土器出土のようす写真右:内耳土器[平成17年度試掘出土])
内耳土器とは、口縁の内側に環状で耳の形をした取手をつけた土器です。取手に縄を通し、上から吊って煮炊きに使用しました。内側に取手をつけることにより、縄が焦げることを防いだものです。この内耳土器は中世のものです。
ほかに縄文土器のかけらや、黒曜石でつくられた石の鏃(やじり)などが出土しています。 赤尾の十八人名主遺跡のすぐ西側には、大きな屋敷が集中する古い集落があります。
この集落には、「赤尾の十八人名主」との言い伝えが残され、また黒川金山の金山衆と推定される天正二年(1574)の保坂次郎右衛門あての武田家朱印状が一通伝わっており、中世以前から、この地域に強い影響力を持つ集落であったと考えられます。
14世紀から16世紀のカワラケは、この集落の起源が中世にさかのぼることを示すものと考えられます。詳細はこれからの出土品の整理作業で検討を行ないます。 |