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ページID:4516更新日:2016年2月8日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0065百々遺跡

南アルプス市の遺跡

0006十五所遺跡-方形周溝墓-
0010大師東丹保遺跡-網代-
0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
0149大師東丹保遺跡-木製品-
0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
0259大師東丹保遺跡-下駄-
0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
0017二本柳遺跡-木棺墓-
0122二本柳遺跡-福寿院跡-
0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
0276二本柳遺跡-火きり臼-
0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
0051仲田遺跡-田んぼ-
0052百々遺跡-八稜鏡-
0065百々遺跡-錘-
0066百々遺跡-馬の骨-
0101百々遺跡-洪水の跡-
0136百々遺跡-浄瓶-
0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
0269百々遺跡-黒色土器-
0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
0081油田遺跡-田んぼと木製品-
0144油田遺跡-木製竪杵-
0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
0409釜無川堤防跡遺跡-
0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
0241村前東A遺跡-手焙形土器-
0250村前東A遺跡-住居跡-
0286村前東A遺跡-S字甕-
0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
0168新居道下遺跡の住居跡-
0216長田口遺跡の鏡片-
0340向河原遺跡-水田跡と杭列-

百々遺跡[どうどういせき]

百々遺跡の詳細はこちらをご覧ください。

遺跡トピックスNo.0052百々遺跡

百々遺跡で発見された古代のオモリ

おもりおもり出土状況

写真左:百々遺跡出土の銅製のオモリ(高さ約4cm、重さ59.9g)

写真右:オモリの出土状況(オモリの左側は平安時代の土器片)

 

この銅製のオモリは百々遺跡の集落の中に掘られた穴から出土しました。この穴からオモリと一緒に出土した土器の破片が平安時代の9世紀末から10世紀初頭(約1,100年前)のものであることから、オモリも同じくらいの時期のものと考えられます。この平安時代のオモリは山梨県内で初めて発見されたものです。

オモリはひょうたんのようにくびれた形で、上部にはオモリをつるすために環[かん]と呼ばれる「輪っか」が付いています。重さは59.9gありました。当時の重量の単位は銖[しゅ]・両[りょう]・斤[きん]といったものでしたが、このオモリの重さはどの単位にも当てはまらないことから、棹秤[さおばかり]に使われたものだと考えられます。棹秤は棹の片側に量るものをつるし、反対側につるしたオモリの位置をずらしながら重さを量るので、単位と異なる重さでもかまわないのです。

ちなみに、天秤に使われる当時の単位に合ったオモリを分銅[ぶんどう]、棹秤に使われる単位の合わないオモリを錘[おもり]と呼ぶそうです。

天秤棹秤
古代のオモリは全国的にも出土例が少なく、またオモリが出土する遺跡は当時の役所であった可能性が高いと考えられています。百々遺跡の中にも役所に関連する施設があったと推測され、このオモリはムラが税として納めた薬草や絹などを量るために使用されたと考えられます。

 

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住所:〒400-1508 甲府市下曽根町923
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