トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0065百々遺跡
ページID:4516更新日:2016年2月8日
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百々遺跡[どうどういせき]百々遺跡の詳細はこちらをご覧ください。 百々遺跡で発見された古代のオモリ写真左:百々遺跡出土の銅製のオモリ(高さ約4cm、重さ59.9g) 写真右:オモリの出土状況(オモリの左側は平安時代の土器片)
この銅製のオモリは百々遺跡の集落の中に掘られた穴から出土しました。この穴からオモリと一緒に出土した土器の破片が平安時代の9世紀末から10世紀初頭(約1,100年前)のものであることから、オモリも同じくらいの時期のものと考えられます。この平安時代のオモリは山梨県内で初めて発見されたものです。 オモリはひょうたんのようにくびれた形で、上部にはオモリをつるすために環[かん]と呼ばれる「輪っか」が付いています。重さは59.9gありました。当時の重量の単位は銖[しゅ]・両[りょう]・斤[きん]といったものでしたが、このオモリの重さはどの単位にも当てはまらないことから、棹秤[さおばかり]に使われたものだと考えられます。棹秤は棹の片側に量るものをつるし、反対側につるしたオモリの位置をずらしながら重さを量るので、単位と異なる重さでもかまわないのです。 ちなみに、天秤に使われる当時の単位に合ったオモリを分銅[ぶんどう]、棹秤に使われる単位の合わないオモリを錘[おもり]と呼ぶそうです。
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