トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0052 百々遺跡
ページID:4559更新日:2017年5月8日
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おどろきの発見!砂の下から平安時代の大集落!![写真]空中から撮影した調査中の百々遺跡 山梨県南アルプス市(旧中巨摩郡白根町)にある百々〔どうどう〕遺跡は、平安時代の大集落が発見された遺跡です。百々遺跡のある御勅使川〔みだいがわ〕扇状地中央部は、度重なる御勅使川の洪水によって地中には砂や石が厚く堆積しているために、本来あった遺跡も流されてしまったのではないかと考えられていました。しかし、一般国道52号(甲西バイパス道路)・中部横断自動車道の建設工事に先立って埋蔵文化財の存在を調査したところ工事予定地内に大規模な平安時代の集落が埋没していることが明らかになりました。このため、平成11年度から12年度までの2年にわたり南北840mの範囲を調査した結果、平安時代の竪穴住居跡251軒を発見しました。八稜鏡はこれらの住居跡の一つから出土しました。 百々遺跡所在地山梨県南アルプス市(旧白根町)百々地内
報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第201集「百々遺跡1」 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第212集「百々遺跡2・4」 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第213集「百々遺跡3・5」 山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第231集「百々遺跡6」
調査機関山梨県教育委員会(山梨県埋蔵文化財センター) 県内で9点だけの貴重な鏡!何に使ったの?[写真:左]百々遺跡から出土した八稜鏡(直径約8.5cm) [写真:右]八稜鏡の出土状況
八稜鏡は平安時代に都で貴族の化粧道具として用いられるだけでなく、信仰のために神社や寺院などに奉納されたり、お墓に埋納した例が見られます。先日は甲府市の善光寺阿弥陀三尊像の中に八稜鏡が入っていることが確認されました。 百々遺跡では、竪穴住居の壁際からまるで大切に保管してあったかのような状態で発見されました。このことからこの住居に住んでいた人が鏡を使用していたと考えられます。おそらく、この住居に住んでいた人はムラの有力者で、権力の証として保有していたのではないかと思われますが、時には鏡をのぞいてお化粧をしたのかもしれませんね。
また、山梨県内では、6遺跡から9点出土していますが、韮崎市の例をのぞいて他は当時甲斐国の中心地であった現在の笛吹市近辺に集中しています。百々遺跡も御勅使川扇状地の中心となるムラであったことが推測されます。
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