トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0066百々遺跡
ページID:4557更新日:2017年5月19日
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南アルプス市の百々遺跡1からは、1つの土坑(どこう=穴)から、ウマ4体の骨が出土しました。さて、どんな状態だったのでしょう? 上の写真は、現在の馬(うま)の頭(あたま)の骨(ほね)です。
所在地山梨県南アルプス市百々地内 時代弥生時代・平安時代 調査機関山梨県埋蔵文化財センター 調査期間1999年5月11日~2000年1月6日 発掘調査報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第201集2002年3月刊行
百々遺跡は、国道52号の甲西道路建設時に発見された、平安時代を中心とした集落跡です。南北約800mの範囲に広がっています。このうち、今回紹介する場所は、北端の東側にあります。 上の写真は、骨が掘り上がったところです。土坑の本来の深さは、もっと深かったと思われますが、発見された時は、最大でも、深さ26cmと浅く、そのためか、4体のうち、1体は全く頭が残っていませんでした。 写真の左側が北の方向です。 上の写真は、方向を変えて撮影したものです(上が北の方向です)。4体とも、頭を北にしています。顔は、残っている3体は、西側を向き、頭骨が残っていない1体も、首の骨の方向から、西を向いていたと思われます。
下の写真は、上の写真の頭部を拡大したものです。下あごの骨で、歯の一部がはずれ、骨も欠けています。 馬の下あごの骨と歯(現生標本)
これらの4体のウマは、同時期に埋葬されたものと考えられ、時代は、9世紀後半以降で、頭を北に向け、顔を西に向ける埋葬方法から、仏教信仰のもとに、手厚く葬られたものと考えられます。 県内では、中世の武田氏館跡(甲府市)で、土坑に1体のウマが、北に頭を西に顔を向けて埋葬されたものが発見されています。 |