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ページID:4557更新日:2017年5月19日

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遺跡トピックスNo.0066百々遺跡〔どうどういせき〕

南アルプス市の遺跡

0006十五所遺跡-方形周溝墓-
0010大師東丹保遺跡-網代-
0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
0149大師東丹保遺跡-木製品-
0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
0259大師東丹保遺跡-下駄-
0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
0017二本柳遺跡-木棺墓-
0122二本柳遺跡-福寿院跡-
0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
0276二本柳遺跡-火きり臼-
0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
0051仲田遺跡-田んぼ-
0052百々遺跡-八稜鏡-
0065百々遺跡-錘-
0066百々遺跡-馬の骨-
0101百々遺跡-洪水の跡-
0136百々遺跡-浄瓶-
0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
0269百々遺跡-黒色土器-
0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
0081油田遺跡-田んぼと木製品-
0144油田遺跡-木製竪杵-
0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
0409釜無川堤防跡遺跡-
0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
0241村前東A遺跡-手焙形土器-
0250村前東A遺跡-住居跡-
0286村前東A遺跡-S字甕-
0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
0168新居道下遺跡の住居跡-
0216長田口遺跡の鏡片-
0340向河原遺跡-水田跡と杭列-

南アルプス市の百々遺跡1からは、1つの土坑(どこう=穴)から、ウマ4体の骨が出土しました。さて、どんな状態だったのでしょう?
馬頭骨

上の写真は、現在の馬(うま)の頭(あたま)の骨(ほね)です。

 

所在地山梨県南アルプス市百々地内

時代弥生時代・平安時代

調査機関山梨県埋蔵文化財センター

調査期間1999年5月11日~2000年1月6日

発掘調査報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第201集2002年3月刊行

 

百々遺跡は、国道52号の甲西道路建設時に発見された、平安時代を中心とした集落跡です。南北約800mの範囲に広がっています。このうち、今回紹介する場所は、北端の東側にあります。
この遺跡からは、たくさんの平安時代の竪穴住居跡が発見されましたが、その中の1軒の東壁を掘りこんで、長さ2.6m、幅1.7mの形の楕円形に近い土坑が発見されました。

土坑馬の骨

上の写真は、骨が掘り上がったところです。土坑の本来の深さは、もっと深かったと思われますが、発見された時は、最大でも、深さ26cmと浅く、そのためか、4体のうち、1体は全く頭が残っていませんでした。

写真の左側が北の方向です。

4体

馬の骨

上の写真は、方向を変えて撮影したものです(上が北の方向です)。4体とも、頭を北にしています。顔は、残っている3体は、西側を向き、頭骨が残っていない1体も、首の骨の方向から、西を向いていたと思われます。

 

下の写真は、上の写真の頭部を拡大したものです。下あごの骨で、歯の一部がはずれ、骨も欠けています。

下骨馬の下あごの骨と歯(現生標本)

 

これらの4体のウマは、同時期に埋葬されたものと考えられ、時代は、9世紀後半以降で、頭を北に向け、顔を西に向ける埋葬方法から、仏教信仰のもとに、手厚く葬られたものと考えられます。

県内では、中世の武田氏館跡(甲府市)で、土坑に1体のウマが、北に頭を西に顔を向けて埋葬されたものが発見されています。

 

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