トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0070玉川金山遺跡
ページID:4477更新日:2016年2月8日
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都留市の遺跡
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他地域からもたらされたもの・在地でつくられたもの[写真左:在地系甕、出土状況]
軟らかい土器は在地系(地元でつくられた)の甕です。都留市内の遺跡からは堀之内原遺跡などで、在地系で作られたと考えられる甕が出土しています。 [写真左:駿東型甕、写真右:出土状況]
かたい土器は駿東(すんとう)型甕と言います。これは静岡県東部地域で生産されたもので、県内に運び込まれたと考えられます。なぜ都留市から静岡県で作られた土器が出土するのでしょうか? 甲斐国の国境について実は延暦16年(797)3月2日に「都留郡□留村」の東辺砥沢をもって甲斐国と相模国の国境とするとの記載が『日本後紀』にあります。これ以降甲斐国の国境が定まりますが、奈良時代の都留市は国境が議論になる土地であったと言えます。
かたい土器ともろい土器が一緒につかわれるということは、様々な地域が交流した場所であったことを示しているのです。 玉川金山遺跡について[玉川金山遺跡全景写真] 玉川金山遺跡発掘調査は都留バイパス建設事業に伴い、平成16年度から行われています。調査の結果、縄文時代早期・古代・中世~近世などの遺構・遺物が確認されています。
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