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ページID:4639更新日:2016年2月8日
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善応寺遺跡(ぜんのうじいせき)写真左:善応寺を遠くからみた風景(赤丸が善応寺)右:観音堂
山梨県南アルプス市(旧中巨摩郡白根町)大嵐地区にある善応寺(ぜんのうじ)は、甲府盆地の西に位置する甘利山南側山腹に所在する寺院です。現在は観音堂と鐘つき堂があります。 また大正2年には観音堂背後の山林を開墾中に、平安時代の経塚(きょうづか)が発見されました。経塚とは仏教の経典を書き写したものを専用の筒(経筒)にいれて石で囲った空間に納め、小規模な塚にしたものです。 このようなことから、平安時代より寺院が建てられ、今日に続いているものと思います。
所在地南アルプス市大嵐字赤羽地内 時代平安時代・中世・近世 調査機関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 信仰の水場写真左:観音堂背後の水場右:発掘調査で出土した石敷き遺構
埋蔵文化財センターでは、平成16年度から5カ年計画で、山梨県内中世寺院分布調査を実施しています。これは県内の中世(鎌倉・室町・戦国時代)に存在した寺院を調査し、保護・活用のための資料を集める目的でおこなっています。
善応寺遺跡は、この調査の一環として平成18年12月1日~18日まで発掘調査をおこないました。調査地は観音堂背後の山林にある水場と、その一段高い段丘上にある平坦面の2カ所でした。このうち水場では、以前に平安時代の土器が拾われたこともあり、「この水場の周囲でどのようなマツリがおこなわれていたのだろうか?」という疑問を胸に、水場の周囲に遺構・遺物があるかどうかを調べました。
調査の結果、水場の正面と流れ出し口には大きな石が据えられ、南側には拳大~人頭大の石が敷かれていたことがわかりました。また石と石の間からは細かく割れた平安時代の土器が多数出土しました。
今回検出された水場周辺の祭祀に関連すると考えられる遺構と、大正2年に発見された平安時代の経塚とほぼ同時期のものと考えられ、善応寺が平安時代から信仰されていたことを裏付ける資料といえます。
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