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ページID:4346更新日:2016年2月8日

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埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0078勝沼堰堤

甲州市の遺跡

  • 0001古婦毛遺跡-埋甕-
  • 0008大木戸遺跡-水晶製石鏃-
  • 0024大木戸遺跡-前期土偶-
  • 0053大木戸遺跡-緑釉陶器-
  • 0143大木戸遺跡-約6,000年前のイエの跡-
  • 0252大木戸遺跡-中期土偶-
  • 0011一ノ坪遺跡-埋甕-
  • 0032勝沼堰堤-砂防堰堤-
  • 0058勝沼堰堤2-水抜き穴-
  • 0078勝沼堰堤3-銘板-
  • 0074勝沼堰堤-砂防学習公園勝沼堰堤見学会報告-
  • 0033日川水制と上流堰堤群-直轄砂防工事-
  • 0064西畑B遺跡-内耳土器-
  • 0071北田中遺跡-古墳時代甕-
  • 0178影井遺跡-羽釜-
  • 0224安道寺遺跡-動物モチーフ付き土器-
  • 0260安道寺遺跡-土偶
  • 0404安道寺遺跡-不思議な形の土器-
  • 0322県指定史跡-武田勝頼の墓-経石-

勝沼堰堤今昔物語

今から100年前の1907(明治40)年8月、東日本を中心に大雨が降り、山梨県も甚大な被害を受けました。そして、災害の復旧が進まない中、3年後に同様の水害が起き、国を挙げての河川改修工事が始まりました。

  • 勝沼堰堤が建設された過程についてはこちら
  • 日川水制と上流堰堤群についてはこちら

それから1世紀の時を経た2006(平成18)年、歴史的な砂防施設を砂防学習の場として利用できるような公園が完成しました。詳しくはこちら

堰堤の上や脇にある銘板

勝沼堰堤や1923(大正12)年に起きた関東大震災より前に着工した上流堰堤群に多くみられます

勝沼堰堤銘板長垣堰堤銘板

〔写真左〕勝沼堰堤の銘板

1917(大正6)年に完成した堰堤で、銘板には標高、起工・竣功年月日、施工者(内務省東京土木出張所)が刻まれています。上流堰堤群で最も早く1922(大正11)年に完成した鶴瀬(つるせ)堰堤もこのタイプです。(鶴瀬堰堤の銘板には「鶴瀬堰堤」という文字が刻まれていますが、勝沼堰堤には「勝沼堰堤」という文字が刻まれていません)。

〔写真右〕長垣(おさがき)堰堤の銘板

1924(大正13)年に完成した堰堤で、銘板には堰堤名と施工者(内務省東京土木出張所)のみ刻まれています。長垣堰堤の前年に完成した横吹(よこぶき)堰堤もこのタイプです。

堰堤にはめ込まれている銘板

関東大震災後に着工された上流堰堤群にみられます

一畑堰堤銘板棚小屋澤堰堤銘板

〔写真左〕一畑(いちのはた)堰堤の銘板

1927(昭和2)年に完成した堰堤で、銘板には堰堤名、起工・竣功年月日、施工者(内務省東京土木出張所)が刻まれています。同じ年に完成した丸林(まるばやし)堰堤などもこのタイプです。

〔写真右〕棚小屋澤(たなこやさわ)堰堤の銘板

1929(昭和4)年に完成した堰堤で、刻まれている内容は〔写真左〕と同じです。しかし、〔写真左〕は刻んでいる文字を囲んでいるラインがあるだけで全体的に凹凸がないのに対し、〔写真右〕は額縁のような枠の中に文字が刻まれています。同じ年に完成した初鹿野(はじかの)堰堤などもこのタイプです。

日川砂防工事における銘板の変遷について

それぞれのタイプの違いが分かりましたか。国内における砂防堰堤建設の技術史を紐解くと、大正時代は今までの石積みからコンクリートへと大きく変化した過渡期にあたります。銘板にも技術者のこだわりがあらわれていたのかもしれません。

 

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