トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0104天正寺遺跡
ページID:8461更新日:2016年2月1日
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都留市の遺跡
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土器が出てきた状況
弥生土器が出てきた様子1
弥生土器が出てきた様子2 弥生土器は凹んだ場所から出土しました。その周囲からは礫が見つかっています。また、平面的にはまとまっていますが、出ている場所の高さに差があるようです。
焼けた土を半分に掘った様子 また、弥生土器のまとまりの下から、焼けた土が出てきました。これを半分に掘り割ったところ、焼けた土は厚くたまっていることが分かりました。どうやら、何回かここで火を燃したようです。 弥生土器が出てきた場所
弥生土器が出てきた場所 弥生土器は写真中央の凹んだ場所から出てきました。弥生時代の人が住んだ家の可能性もありますが、その半分は調査の外であるため、確実とは言えません。ただし、天正寺遺跡の北西側に生出山山頂遺跡があったことから、山を生活域としたことは十分考えられます。
では、弥生時代の人々はなぜ山の中で生活したのでしょうか?天正寺遺跡や生出山山頂遺跡は弥生時代中期の遺物が見つかっていますが、この時代は都留市だけに限らず、標高が高い場所で生活したようです。その理由としては、稲作が定着しかかっている不安定な時代であったため、稲作だけにたよらず、狩猟や採集など様々な活動をしたと考えられます。
都留市を含む郡内地域では弥生時代前・中期の遺構・遺物は確認されるものの、弥生時代後期の遺物はなかなか出土しません。これに対し、弥生時代後期において甲府盆地の周辺では大規模な集落が出現します。この背景として稲作の定着を背景とした人々の動きが関係しているのかもしれません。
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