トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0111 桂野遺跡(前期土偶)
ページID:4490更新日:2017年5月8日
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桂野遺跡ってどんな遺跡?桂野遺跡全景:画面奥が甲府盆地
山梨県の南東、甲府盆地の東にある御坂の山々の日当たりが良い斜面は果樹園として利用され、桃畑などが広がっていますが、遺跡はこの桃畑の中にありました。現在は国道137号線(上黒駒バイパス)がはしっています。 調査風景:バックの木々は桃です
調査の結果、縄文時代前期(今からおよそ5,500年前)から中期初頭(今からおよそ5,000年前)の家やお墓、狩をするための落とし穴などが見つかっています。 所在地:笛吹市御坂町上黒駒字桂野大道1901番地 時代:縄文時代前期~中期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第172集「桂野遺跡(第1次~3次)・西馬鞭遺跡」2000(平成12)年刊行 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 「ネコの手」みたいなこれって一体・・・?発掘現場で、ある穴の調査をしていた時のこと。。。 穴の壁に近いところにペタッと貼り付いた土器片のようなものが出てきました。 穴から土器などがでてきた様子 穴から見つかったもの。何だろう・・?
これを何気なくつまみ上げてみると・・・ 土器片ではありません。先に小さなおダンゴのようなものが幾つも付いています。ふと「ネコの手みたい・・・」と思ってしまいましたが、これはなんと!土偶だったのです。 土偶も色々‘土偶'は女性をモデルにつくられた女神だと考えられており、マツリを行なう中でバラバラに壊される運命にあります。
こんなことからも、みなさんが思い描く‘土偶'は、立体的な女性の姿なのではないでしょうか。しかしながら縄文時代前期に山梨県辺りで主流だったのは、板状の平べったい土偶でした。これが縄文時代中期に入った途端に、立ち上がった立体的な姿となるのです。 山梨県で見られる縄文時代前期の平べったい土偶 甲州市大木戸遺跡(左列2点)・甲州市獅子之前遺跡出土(右列2点) 縄文時代中期の立体的な土偶(胸から下は欠損しています) 北杜市原町農業高校前遺跡出土 桂野遺跡の土偶、「おもて」「うら」
桂野遺跡で見つかった土偶は、おダンゴのようなものが付いた部分が髪の毛を表わしており、顔はその裏側の何もない部分にあたります。いわば頭部のみが半分くらい立体的に作られた土偶なのです。穴から一緒に出てきた土器をみると縄文時代前期のおわり頃の土偶だということがわかりました。ちょうど土偶が立体的な姿になる直前の時期です。
そんなことからこの一風変わった土偶は、前期の平べったい土偶と、中期の立体的な土偶との架け橋となる土偶だと考えられます。
この土偶は山梨県立考古博物館で見ることができます。 |