トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0120小井川遺跡
ページID:4543更新日:2017年6月16日
ここから本文です。
中央市の遺跡 |
下の写真は、戦国末期の池状遺構に堆積した砂を完全に取り除いた状況です。池の内側西には五輪石塔の部材(地輪)2基が並んで発見されました。池の西側から南東に流れる溝には橋がかけられ、南側では池と溝を連絡する樋が取り付けられていました。 五輪石塔(地輪)の部材を取り上げてみると、下の写真のように文字が刻まれていました。 右側では、正和四□六月廿五日死亡日也日励佛□□陀佛 左側では、□年戌刻二藤布施兵□忠光法名六十□□滅
このことより西暦1315年頃には、遺跡周辺では布施という地名が使われていて現代の地名につながっていることが証明され、さらに藤原一族の二藤布施兵衛忠光が、この地・布施庄を管理していたことがわかりました。 |