トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0121富士山二合目冨士御室浅間神社境内地遺跡行者堂跡
ページID:4371更新日:2017年6月9日
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調査概要写真左:発掘調査する前の行者堂跡 右:調査のようす 埋蔵文化財センターでは、平成16年度から5ヶ年計画で進めている「山梨県内中世寺院分布調査事業」の一環として、富士山の北麓、吉田口登山道沿いにある富士山二合目(標高1,700m地点)の冨士御室浅間神社境内地で発掘調査を行いました。 冨士御室浅間神社の西側には、江戸時代の絵図等から行者堂と呼ばれる建物があったと推定されていました。 行者堂は、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)を祀るお堂です。 役行者は、甲府市右左口町にある円楽寺の行者堂平成(17年度に発掘調査)を起点として、富士登山道を初めて開いた人物と伝えられています。行者堂の創建年代をさぐることで、登山道の成立も明らかになるのではないかと考えられます。
所在地山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3953-1番地時代 時代鎌倉時代~江戸時代 調査機関山梨県埋蔵文化財センター 行者堂跡の建物を区画する石列の一部か?写真:発掘調査で見つかった石列
平成19年10月11日から10月31日まで、富士山信仰に深く関わる冨士御室浅間神社内の行者堂跡の発掘調査を行いました。 発掘調査の結果、登山道に並行する石列が出土しました。石列の規模は、南北7.4mで、谷側に平坦面を向けていました。絵図等に石列は描かれていないのですが、見つかった位置などから行者堂跡を区画する石列の一部と考えています。 また、石列の西側前面からは、鎌倉~室町時代に流通した北宋銭や江戸時代の寛永通宝などの古銭、中世~近世の陶磁器類や土器片が多数出土しており、行者堂跡が中世にまでさかのぼる可能性が示唆されます。 |