トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0122二本柳遺跡〔南アルプス市〕
ページID:4547更新日:2017年6月16日
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南アルプス市の遺跡0006十五所遺跡-方形周溝墓-0010大師東丹保遺跡-網代-0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-0149大師東丹保遺跡-木製品-0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-0259大師東丹保遺跡-下駄-0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-0017二本柳遺跡-木棺墓-0122二本柳遺跡-福寿院跡-0164二本柳遺跡出土の擂鉢-0276二本柳遺跡-火きり臼-0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-0051仲田遺跡-田んぼ-0052百々遺跡-八稜鏡-0065百々遺跡-錘-0066百々遺跡-馬の骨-0101百々遺跡-洪水の跡-0136百々遺跡-浄瓶-0172百々遺跡-平安時代の住居跡-0269百々遺跡-黒色土器-0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-0077善応寺遺跡-祭祀の水場-0081油田遺跡-田んぼと木製品-0144油田遺跡-木製竪杵-0231油田遺跡-体験学習用の復元品-0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-0409釜無川堤防跡遺跡-0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-0241村前東A遺跡-手焙形土器-0250村前東A遺跡-住居跡-0286村前東A遺跡-S字甕-0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-0168新居道下遺跡の住居跡-0216長田口遺跡の鏡片-0340向河原遺跡-水田跡と杭列- |
二本柳遺跡(にほんやなぎいせき)二本柳遺跡は、平成3年に富士川西部広域農道関連の農道の整備に先だって調査された遺跡です。この遺跡は、加賀美遠光(かがみとおみつ1143~1224?甲斐源氏小笠原氏の祖、長清の父)の居館跡に建てられた法善寺の子院である福寿院跡と推定されています。さて、どのようなものが出土しているのでしょうか。また、この遺跡の東側隣接地では、平成3年~4年にかけて甲西バイパス建設に伴って、弥生から近世の遺跡が発掘調査されています。
所在地:南アルプス市加賀美字山宮地 時代:中世~近世 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第72集1992年3月 写真二本柳遺跡調査風景
二本柳遺跡は、江戸時代の絵図によると、法善寺の子院の福寿院のあったとされる場所です。そこに広域農道が造られるため、発掘調査されました。どのような遺構が発見されているのでしょうか? 写真1号溝 写真2号溝
遺跡から溝跡が発見されています。1号溝の西側からは、遺物が出土していません。しかし、その反対の東側からは、遺物が出土しています。このことから、溝は人の住んでいる場所とそうでない場所を区画するためにつくられたと考えられます。また、2号溝も見付かっています。さて、この溝からいつの時代のどのような遺物が出土しているのでしょうか? 写真1号溝から出土したかわらけ 写真1号溝から出土したすり鉢
1号溝からは上の写真の、かわらけ(素焼きの土器)やすり鉢が出土しています。これらは、約450年前(戦国時代)に使われていたものです。2号溝からも少しですが、1号溝と同時代の遺物が出土しています。 写真1号溝から出土した五輪塔
1号溝からは、他にも香炉形の土器、五輪塔の一部、木製の卒塔婆も出土しています。これらは、いずれも寺院に関係するものです。また、甲西バイパス建設に伴って発掘された二本柳遺跡(→遺跡トピックスNo.0017)からは、寺院に深く関係する人物のお墓と考えられる木棺などが出土していて、寺院の一部分であったことが推測されます。 発掘調査の結果からも、1号溝の東側は寺院である可能性が高く、この地は江戸時代の絵図にある福寿院だと考えられます。文献からは福寿院のつくられた時代はよくわかっていません。発掘調査からも創建された時代はよくわかりませんでしたが、戦国時代には存在したことは確実です。 古文書によると、福寿院は武田信玄により税の一部を免除され、祈願所にされた重要な寺院でした。
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