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ページID:4580更新日:2017年6月9日

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遺跡トピックスNo.123日向町遺跡(甲府市)

甲府城下町の遺跡

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日向町遺跡下駄

写真日向町遺跡の井戸から発見された下駄

詳細

日向町遺跡の位置するJR甲府駅北口一帯は、中世戦国期の武田信虎・信玄・勝頼親子三代の時代には、躑躅ヶ崎館(国史跡武田氏館跡)を中心に開かれた『武田城下町』として、また近世には県指定史跡甲府城の城下に展開した『甲府城下町』となり、幕末まで武家の屋敷地として利用されてきました。

日向町遺跡の発掘調査は、山梨県北口駐車場改築工事などにともない平成10年と13年に行われ、その結果、江戸時代の武家屋敷にともなう井戸跡や屋敷区画の溝跡をはじめ戦国期のお墓など、中世から近世にいたる遺構や遺物が発見されました。

 

所在地甲府市北口2丁目

時代中世から近世

報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第170集1999(平成11)年12月刊行
および調査報告書第220集2004(平成16)年3月刊行

調査機関山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター

 

NO20甲府城下町(日向町)PL-49-1段右B区全景b

写真日向町遺跡の全景

 

NO23甲府城下町(日向町)PL-49-2段右第2号井戸半截状況(西から)b

写真桶を5段積み上げた井戸

 

井戸について

日向町遺跡の調査では、中世や近世の井戸が6基発見され、深さ3m~5mの素掘りのもの、桶を積み上げたもの、石を積み上げたものなど、3つのタイプに分けられます。この内の1つの井戸から陶磁器などの生活用品とともに下駄が出土しています。

日本人は、昔から井戸は「地下に住むカミがこの世に現れるための聖なる通路であると同時にカミがやどる聖なる場」と考え、井戸を埋めるという行為は「カミの怒りに触れ、神の罰が当たる恐れがあり、居場所を失ったカミが、地下とこの世の世界でさまようことになり、悪霊や妖怪となって、この世に生きる人々に災いをおよぼす」と信じてきました。このため、人々は井戸を埋める時、カミの怒りを招かないようにカミマツリを行い、カミのたたりを鎮めようとしました。

節を抜いた竹について

下駄とともに櫛などの木製品をはじめ寛永通宝、モモの核・クルミ・クリや竹が出土しました。

この竹は、節が抜かれており、カミの息の根を止めないように突き立てたと考えられます。

節を抜いた竹

下駄について

日向町遺跡の井戸から発見された下駄は、「中切下駄」あるいは「中折り下駄」と呼ばれる折りたたみ式の1足で、凸と凹部との二つの部材が結合され、結合部で折れるようになっていて、「携帯折りたたみスリッパ」のような使われ方が考えられます。この下駄の出現は、17世紀末とも言われています。

 

下駄の実測図

下駄の表面・裏面・側面図

井戸から発見された下駄は、井戸を埋めるとき、井戸の中にカミが閉じ込められることをおそれ、カミのはきものとされる下駄をはいて、できるだけ早く井戸から抜け出してもらうように願って投げ込まれたものではないでしょうか。

 

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