トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0172百々遺跡(平安時代)

ページID:8078更新日:2015年12月18日

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埋文センターで発掘調査した住居跡その8平安時代

南アルプス市の遺跡

0006十五所遺跡-方形周溝墓-
0010大師東丹保遺跡-網代-
0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-
0149大師東丹保遺跡-木製品-
0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-
0259大師東丹保遺跡-下駄-
0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-
0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-
0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-
0017二本柳遺跡-木棺墓-
0122二本柳遺跡-福寿院跡-
0164二本柳遺跡出土の擂鉢-
0276二本柳遺跡-火きり臼-
0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-
0051仲田遺跡-田んぼ-
0052百々遺跡-八稜鏡-
0065百々遺跡-錘-
0066百々遺跡-馬の骨-
0101百々遺跡-洪水の跡-
0136百々遺跡-浄瓶-
0172百々遺跡-平安時代の住居跡-
0269百々遺跡-黒色土器-
0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-
0077善応寺遺跡-祭祀の水場-
0081油田遺跡-田んぼと木製品-
0144油田遺跡-木製竪杵-
0231油田遺跡-体験学習用の復元品-
0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-
0409釜無川堤防跡遺跡-
0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-
0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-
0241村前東A遺跡-手焙形土器-
0250村前東A遺跡-住居跡-
0286村前東A遺跡-S字甕-
0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-
0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-
0168新居道下遺跡の住居跡-
0216長田口遺跡の鏡片-
0340向河原遺跡-水田跡と杭列-

0172百々遺跡全景

百々遺跡(どうどういせき)3・5(平安時代)
所在地:南アルプス市(旧白根町)百々
時代:平安時代
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第213集百々遺跡3・5
調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
発掘調査をした理由:甲西道路改築工事および中部横断自動車道建設工事による
調査面積:43,600平方メートル
調査期間:1999,2000年度
標高:335~340m
住居軒数:251軒の平安時代の大集落

この遺跡では、平安時代の住居跡が251軒調査されました。その中でも百々5の2区5号住居跡(写真1の四角い住居跡で、今からおおよそ1100年前)は、きれいな方形をした隅の丸い6.2m×5.9mの大きさです。人が入っていますので、おおよその大きさがわかるかと思います。そして、床面までの深さは60cm程度あります。この時代の住居には、カマドがつくられます。
どこにカマドがあるかというと、写真1の右側奥の人の横に見えている石のところです。住居の隅っこにカマドがつくられました。
0172百々5号住居

写真1(4人でちょうど良い大きさの住居みたい)

どのような形をしているのでしょうか?写真2を見てください。両側の石のある所がカマドの袖(そで)になります。中央から細長く上に延びているのは、煙を外へ出すための道です。溝のようになっていますが、本当はトンネルのようにつくられましたが、天井の部分が壊れてしまったからです。
住居につきものの柱の穴が、この家には見あたりません。床面がでこぼこしているので、もしかしたらその凹みの幾つかは、柱の凹みだったのかも知れません。

0172百々カマド01

写真2(壊されてしまったカマド)

0172百々カマド020172百々カマド03

カマドを正面から見た復元図カマドの断面図


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