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ページID:26654更新日:2017年5月17日
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都留市の遺跡0026四ノ側遺跡-平安時代住居-0070玉川金山遺跡-奈良時代甕-0080玉川金山遺跡-土坑墓-0090玉川金山遺跡-炉穴-0093玉川金山遺跡-鉄鏃-0099玉川金山遺跡-地下式坑-0118玉川金山遺跡-集石-0182玉川金山遺跡-台石-0082中溝遺跡-耳飾り-0104天正寺遺跡-弥生土器-0128天正寺遺跡-さまざまな弥生土器-0153中谷遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0190中谷遺跡-三角とう形土製品-0258中谷遺跡-注口土器と蓋-0263中谷遺跡-集石土坑-0167美通遺跡-敷石住居跡-0174美通遺跡-猿橋溶岩と集石土坑-0201美通遺跡-発掘調査速報-0204美通遺跡-発掘調査速報2-0206美通遺跡-発掘調査速報3-0220美通遺跡-発掘調査速報4-0281美通遺跡-イノシシ形装飾付浅鉢-0289美通遺跡-D区発掘調査速報-0300美通遺跡-D区発掘調査速報2・玦状耳飾り-0175九鬼2.遺跡-埋納された装飾土器-0305九鬼2.遺跡-蔵骨器-0298三ノ側遺跡-皇朝十二銭・発掘調査速報1-0303三ノ側遺跡-須恵器・発掘調査速報2-0320三ノ側遺跡-竪穴住居跡のカマド・発掘調査速報3-0326三ノ側遺跡-掘立柱建物-0349三ノ側遺跡-羽口-0372牛石遺跡-縄文時代のストーンサークル-0400谷村城-歴史と変遷-0413谷村城-発掘調査速報- |
(写真1)37号土坑と甕の出土状況(北から) 美通遺跡の調査は、A区からC区と、区分けして調査が進められています。 写真1の陶器は、甕(かめ)の底の部分で、C区で発見されたものです。 今回は、現在の発掘調査の進捗のようすと、甕が見つかった37号土坑(どこう)について紹介します。 遺跡詳細遺跡名美通遺跡(みとおし-いせき) 所在地都留市井倉(いぐら)字美通(あざ・みとおし) これまでの遺跡トピックスでの取り上げ状況遺跡トピックスNo.167・・・2008年度の速報1(敷石住居跡など) 遺跡トピックスNo.174・・・2008年度の速報2(猿橋溶岩など) 遺跡トピックスNo.201・・・2009年度のC区の速報1(土坑や集石など) 遺跡トピックスNo.204・・・2009年度のB区の速報(縄文時代の住居跡など) 現在のC区の発掘調査のようす今年度の発掘調査に着手してから、3か月目にはいりました。 C区においては、9月15日現在、北側の部分がほぼ終了しています(写真2参照)。 この北側部分では、縄文時代の早期から前期(今から約7,000年前)の土器がたくさん発見されました。またここで見つかった土坑や集石などの遺構からは、富士山から流れ出た溶岩の固まりも見られました。 現在、調査を進めているC区の南側の部分では、中世から近世にかけての遺構が見つかっていて、北側部分とは少し様相が違っています(写真3)。 (写真2)(写真3) 注目される遺構と遺物・・・37号土坑の発見C区南側部分の調査で注目されるものに、37号土坑があります。 注目というのは、土坑の底の部分に、陶器の甕が残されていたことです。 この甕(かめ)は、推定の高さが60cmくらい、胴の直径が50cmくらいと見られる大きさのもので、その底部付近だけが残っていたのです(写真4)。 (写真4)(写真5) 調査を進めると、甕は底がぬけているものだとわかりました(写真5)。 後で、甕を取り上げて、よく観察してみたところ、甕の底は、意図的に打ち抜かれていることがわかりました。 甕という形の陶器は、中におもに液体などを入れて保存する使い方が一般的です。しかし、この例のように、底に穴があいていては、本来の使用、すなわち液体などを蓄えるということは、とうてい考えられませんね。この甕は、一体どのように使われていたのか、甕の年代や製作地の問題などとともに、これからの調査研究の課題となります。
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