トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0235四ツ塚古墳群
ページID:31350更新日:2017年5月8日
ここから本文です。
笛吹市の遺跡
|
四ツ塚古墳群(よつづかこふんぐん)について四ツ塚古墳群は、笛吹市一宮町、金川の左岸に所在する古墳時代後期(今から1,400~1,300年ほど前)の群集墳です。1980年(昭和55年)の中央自動車道一宮御坂インターチェンジの建設にともなう発掘調査によって22基の古墳が、1995年(平成7年)に金川の森公園建設にともなう発掘調査によって5基の古墳が確認されました。四ツ塚古墳群についてのトピックスはNo.0020でも紹介されています。 写真1(四ツ塚古墳群26号墳) 所在地:笛吹市一宮町国分 時代:古墳時代後期・奈良・平安時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第11集(1985)、山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第162集(1999) 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 古墳時代後期、装身具は、よりおしゃれに、よりポピュラーになる!アクセサリー(装身具)は私たちの生活において、さまざまな場面で活躍し、場面に応じてその役割を果たす身近な存在です。装身具の歴史は古く、日本では旧石器時代から登場するようですが、四ツ塚古墳群がつくられた古墳時代においても装身具は古墳のなかから多数出土しており、それは時代とともに変化していきます。今回のトピックスでは、装身具から古墳時代後期について考えていきます。 四ツ塚古墳群がつくられるよりも前、古墳時代前期の装身具としては、勾玉(まがたま)などの首飾類や腕飾類などが発見されています。その材料はヒスイなど緑色のものが多く、祭祀的(さいしてき)な意味合いが色濃く出ています。政治と祭祀の関わりが強かった古墳時代前期の特色がよくあらわれているといえるでしょう。中期に入ると、朝鮮半島から多くの人が訪れるようになり大陸の先進技術をもたらしたため、金属製の装身具が登場するようになります。これ以降、金属製の装身具は増加していきます。また玉類では、メノウ製の勾玉や水晶製の丸玉などが登場するようになり、祭祀的な色合いが強いものは前期ほどはみられなくなります。 そして四ツ塚古墳群がつくられた古墳時代後期になると、装身具は祭祀的な色合いはさらに薄れ、よりおしゃれになります。緑色が基調となっていた玉類は、メノウや水晶、コハクなどが用いられ、多色使いのガラス玉であるトンボ玉も作り出されて中期よりもさらにカラフルになります。また、土玉や水晶を使ったシンプルなものなど、より多様なデザインのものも登場するようです。 着飾る階層も、超一流の階層だけにとどまらなくなります。四ツ塚古墳群のような古墳時代後期の群集墳に葬られるのは、それ以前までの王や豪族ではなく、いわば地域の有力な家父長クラスです。財を成し、有力な家長クラスになれば、カラフルな首飾や金ピカの金環(きんかん:今のピアス)などの装身具を所有できた時代、装身具がアクセサリーとしての性格をあらわすようになった時代、それが古墳時代後期なのでした。当時のちょっとセレブな日本人は、男性も女性も、現代の私たち以上に装うことを楽しんでいたのではないでしょうか。 写真2(四ツ塚古墳群出土玉類:左よりメノウ製勾玉、ガラス製丸玉、土製丸玉、石製臼玉、水晶製切子玉)
四ツ塚古墳群の装身具は学校用貸出資料になっています!今回紹介した四ツ塚古墳群出土の装身具は学校用貸出資料として提供されています。(ガラス製丸玉と水晶の切子玉) 身近な地域の出土品を実際に児童・生徒にふれさせ、魅力的な授業を展開してみませんか?詳しくはこちらへ
|