トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0234御坂中丸遺跡
ページID:31318更新日:2017年5月15日
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笛吹市の遺跡
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〈写真〉左:遺跡遠景(矢印が御坂中丸遺跡・手前の道路は国道137号)右:完掘の状況 御坂中丸遺跡は、笛吹市御坂町上黒駒の、笛吹川に下る金川の右岸にあるなだらかな西向きの傾斜地(標高約590m)にあります。この周辺は縄文時代の遺跡が点在する地域として以前より注目されており、やや甲府盆地に下った所には桂野遺跡などの存在が確認されています。 また、当遺跡は「黒駒土偶」の名称で知られる奇異な表情を持つ3本指の土偶が、大正6年に発見された遺跡として古くから全国的に有名です。 山梨リニア実験線建設に伴って、平成21年度に調査された結果、県内では出土例の少ない縄文時代早期の古屋敷遺跡第4.群土器が多数出土しました。 所在地:笛吹市御坂町上黒駒6209-1他 時代:縄文時代早期~後期 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター リンク:平成21年度御坂中丸遺跡発掘調査状況、つくって学ぶペーパークラフト「黒駒の土偶」 縄文時代早期の土器片
〈写真〉縄文時代早期古屋敷遺跡第4.群土器 左:口縁部付近の破片、右:胴部から底部にかけての破片 縄文時代早期(約9,000~7,000年前)の土器の出土は少なく完全な形で出土することはほとんどありません。御坂中丸遺跡で発見された早期の土器も、完全な形ではありませんでした。 〈写真〉縄文時代早期の土器 この時代の土器の形は一般的に底が尖っており、いわゆる砲弾形をしています。用途は、ものを入れて保存するよりは、煮炊きに多く使われていたと考えられています。 今回、出土した土器片には無文のものと、口縁部に縄文が施されているものの2種類があり、なかでも無文のタイプの口縁部は、厚くやや丸みのある角を作り出しています。縄文時代中期にみられるような派手な装飾を持たず、全体的に非常にシンプルなつくりとなっています。 さて、この土器片ですが、1981年に発掘調査された富士吉田市古屋敷遺跡より出土した古屋敷遺跡第4.群の深鉢型土器(縄文時代早期後半・約7,000年前)の破片の状況に類似しており非常に珍しい資料といえるでしょう。さらに、古屋敷遺跡第4.群の土器片は笛吹市境川町机遺跡・寺平遺跡などでも発見されていることから、富士北麓から甲府盆地南東部にかけての御坂山地を越えた交流が十分に感じ取れるものです。
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