トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0272中込遺跡
ページID:34813更新日:2017年5月24日
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中込遺跡の絡条体圧痕文土器(らくじょうたいあっこんもんどき)中込遺跡の絡条体圧痕文土器 中込遺跡は八ヶ岳広域農道建設に先立って1990年6月5日~7月26日にかけて発掘調査が行われました。遺跡は北杜市長坂町大井ヶ森(おおいがもり)に所在します。この地域は古くから縄文時代の遺跡が多数知られており、八ヶ岳南麓の景観をよくのこしているところです。 調査の結果、上図に示したように見慣れない文様の土器が出土しました。考古学では絡条体圧痕文土器(らくじょうたいあっこんもんどき)と呼ばれています。「絡」はからまるという意味です。つまり何か軸に絡った条(縄)の圧痕の文様のある土器という意味になります。
縄文土器の文様が縄の回転圧痕であることを発見し、縄の体系的な研究をなしたのは、縄文学の父といわれる故山内清男博士です。その著書『日本先史土器の縄紋』には、縄のことが詳しく書かれています。縄文土器を研究する人は必ず読まなければならない本と言われています。 さて、中込遺跡の絡条体圧痕文土器は、土器の上半部に施された文様は対弧状に曲がっています。これは絡条体の軸が柔らかいものであるから弧状に曲がります。硬いものであれば直線的な文様になります。 原体模型縄軸の絡条体の圧痕文 他の遺跡の絡条体圧痕文土器絡条体圧痕文土器は県内でも各所で見られますが、まとまった資料は上野原市穴沢遺跡(あなざわいせき)、都留市玉川金山遺跡(たまがわかなやまいせき)、忍野村笹見原遺跡(ささみはらいせき)が代表的なものです。資料を提示しておきます。詳しくはそれぞれの報告書をご覧ください。こちらは、棒状の硬いものを軸とし、軸にやや間隔をあけて縄を絡めています。
(左)玉川金山遺跡の絡条体圧痕文土器 (右)笹見原遺跡の絡条体圧痕文土器 穴沢遺跡の絡状体圧痕文土器 原体模型棒軸の絡条体圧痕文 さて、余談ですが、絡条体圧痕文は土器の器面に押し付けた圧痕ですが、これを一般の縄のように回転しながら押圧すれば、撚糸文(よりいともん)と呼ばれる文様になり、関東地方から中部東海地方の縄文早期によく見られます。縄の巻き方を工夫して、軸の中央から右巻きと左巻きに分ければ、中部地方から北陸地方、東北地方の中期初頭に見られる木目状撚糸文になります。山梨県内にも多数見られますすが、笛吹市銚子原遺跡(ちょうしっぱらいせき)に好例があります。 笹見原遺跡の撚糸文土器原体模型撚糸文 銚子原遺跡の木目状撚糸文土器原体模型木目状撚糸文
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