トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0282冨士御室浅間神社 里宮
ページID:36649更新日:2016年2月25日
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富士河口湖町の遺跡0029滝沢遺跡-平安時代住居・土錘-0034滝沢遺跡-墨書土器-0056滝沢遺跡-桃の種-0334滝沢遺跡-叩き甕-0386滝沢遺跡-発掘調査速報-0395滝沢遺跡-転用硯-0095塚越遺跡-柄鏡形敷石住居跡-0177塚越遺跡-網代-0121富士山二合目行者堂跡-石列-0195炭焼遺跡-火打ち金-0248富士山と信仰の道0282冨士御室浅間神社里宮-片山社-0304富士山二合目行者堂跡-灯明皿-0327冨士御室浅間神社二合目本宮境内地遺跡-石碑が語る信仰の道- |
当センターでは現在、『山梨県内山岳信仰遺跡分布調査』という学術調査を行なっており、富士山信仰に関わる遺跡の調査を実施中です。 その中で行なった‘冨士御室浅間神社里宮’の調査成果について紹介します。 冨士御室浅間神社里宮とは?山梨県側の富士山二合目には、‘冨士御室浅間神社本宮’という富士山中で最古の創建と伝わる神社が鎮座しています。 冨士御室浅間神社里宮とは、この富士山中の本宮に対する里宮で、河口湖の南岸に鎮座しています。 創建年代は天徳2年(958)と伝えられています。 里宮本殿裏側の調査風景 この里宮の境内には、神社がある勝山地区の産土神(うぶすながみ)である、‘片山社’が鎮座しています。 ‘片山社’の「かたやま」という言葉は、その昔「かつやま」という地名が「かたやま」だったことに由来していると言われています。 現在、片山社は本殿近くに移され、祠もきれいにされていますが、つい最近まで片山社の祠がのっていた台石が境内の一角に残されており、この台石凹み穴の中には様々なものが残されていました。 今回は、この片山社の台石に残されていたものについて紹介します。 所在地南都留郡富士河口湖町勝山 時代平安時代~近世 ★関係する過去のトピックスもご覧下さい★ 0121富士山二合目行者堂跡-石列- 0248富士山と信仰の道 ★山梨県内山岳信仰遺跡分布調査のページはこちら★ 片山社の台石に残されていたもの下の写真にあるのが、片山社の土台の石です。写真奥に見えるのが、里宮本殿で、この本殿から河口湖畔の‘しょうじん場’と呼ばれるみそぎ場に至るルート上に、片山社は鎮座していました。 土台の石は熔岩で、祠がのっていた上面は平らに仕上げられ、中央には約18cm四方の四角い穴があけられ、漆喰(しっくい)で蓋がされていました。 この穴をのぞいてみると… 水晶や文字が書かれた石などが見えます。 中には、これらが納められていました。鏃形鉄製品、水晶、文字が書かれた石… 写真上の丸い石はこの他にもたくさん入っていました。 これら石には文字が書かれています。 左は黒い字で「一切神力」、右は赤い字で「八神、大辨(弁)財天など」 穴の一番底には、鏃形鉄製品と呼ばれる、鎗先のような形をしたものが、大事に納められていました。 一体、何のために…?神社の中の発掘調査はあまり行なわれていないため、また普段、祠が鎮座しているその下などはなかなか調査が行なわれる機会がないので、似たような調査事例がなく、これらが一体何のために納められたのかは、はっきりわかっていません。 しかしながら、祠の下に大切に埋納されていることや、水晶・先のとがった鉄製品など、魔除け的なものが含まれていることから、おそらくは片山社が鎮座するその場の地鎮的な意味合いがあったものと考えられます。 |