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ページID:34624更新日:2017年5月19日
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ウマとの関わりを古くからもっていた山梨県。 今週の遺跡トピックスでは、その一端にふれてみたいと思います。 ウマの歯と骨の出土状況の写真です。 どこにウマの歯と骨があるか、わかりますか? 甲府市「東山北遺跡(ひがしやまきたいせき)」のウマ山梨県埋蔵文化財センターや山梨県立考古博物館が併設されている曽根丘陵公園内には、多数の遺跡が発掘調査され、保存されています。 園内の東山北遺跡からは、4世紀後半~5世紀初頭頃のウマの骨と歯が出土しています。 じつはこのウマの骨と歯は日本国内でもかなり古いものなんですよ! 3世紀末に書かれた『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』(280~290年頃)には、3世紀末の日本にはウマ、ウシ、ヒツジなどはいないと記録されており、ウマは大陸から持ち込まれた動物でした。 現在とは違い、4世紀後半~5世紀初頭の当時の日本では貴重な動物でした。 ウマを所有できるのは、例えば大和政権と関係のある限られた権力者だけと思われます。さらに馬具(乗馬するさいに必要な道具、またはウマを飾りつけるもの)で飾りつけられたウマは、まさに権力者の権威の象徴だったのでしょう。 東山北遺跡からは、弥生時代(約2.300~1.700年前)の集落の跡や土器、古墳時代(約1.700~1.300年前)の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が確認されました。ウマが出土した方形周溝墓は、県内で1番大きく、全国的に見ても最大級の部類に入る大きさ(たて31.4m×よこ36.0m)で、周溝の底面近くからウマの骨と歯が3つのブロックに分かれて総数34点が出土しました。ウマは1頭分か、あるいは2頭分と思われます。 〈写真左:ウマの骨と歯〉〈写真右:ウマの骨と歯の出土状況〉 こちらも塩部遺跡と同じで方形周溝墓からの出土でしたが、塩部遺跡と違って湿地の遺跡ではなかった為、残念ながら残存状態はあまりよくありませんでした。しかし同じ公園敷地内のかんかん塚から5世紀後半の県内でも古い馬具が出土しており、当時の中道地域の権力の強さと、古くからウマとの深い関わりを持っていたことを想像させます。 遺跡名:東山北(ひがしやまきた)遺跡 所在地:山梨県甲府市下向山字東山 時代:弥生時代~古墳時代 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第79集甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園東山北遺跡第1~3次調査1996年発行 関連トピックス
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