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ページID:38265更新日:2017年3月8日
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山梨市上コブケ遺跡B区(かみこぶけいせきびーく)から出土した縄文時代の土器なのですが、みなさんは何に見えますか?
上コブケ遺跡B区山梨市上コブケ遺跡B区は、山梨市南にあります。 遺跡の近くには、兄川や弟川が流れており、遺跡の標高は約370mです。 西関東連絡道路の建設に伴って発掘調査が2011年5月下旬から始まりました。広範囲の発掘調査なので、発掘調査区をA区、B区、C区の3区に分けて調査しています。 縄文時代中期後半(曽利1.式古段階土器そりいちしきどきこだんかい)の人面装飾付土器縄文時代は今から約1万3000年前~2300年前という長い期間のことを指します。(時代区分は確立してないので、研究者によって違います。) 縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と6区分され、縄文時代中期は約5000年~4000年前の時代です。 曽利1式土器は縄文時代中期後半(今から約4500年前)に見られる土器様式(土器の特徴から分類されている。)で、人面の装飾が施されることはめずらしいようです 曽利1式古段階の人面装飾付土器(人面部を拡大)
曽利1式古段階の人面装飾付土器
みなさんは何に見えますか? ヘビのように長い体に顔!? 考古学では人面装飾付土器と呼びますが、人間以外のもの(神や精霊など)を表現しているかもしれませんね! 目立つ大きな破片だけでもこんなにありました。 縄文人の芸術性の高さが垣間見えますね! 写真の左の破片を見ると、人面がもう1つあったようですが、残念ながらはがれて落ちていました。 口縁部(土器の一番上の部分)を写したものです。 写っている手と比べると、土器の口縁の大きさがわかります。 人面装飾付土器は埋甕(うめがめ)でもあった!人面付き土器は逆位(上下逆さまの状態)で出土しました。 底の部分はありませんでしたが、土器の口縁部(上の部分)を下にしており、このことから人面装飾付土器は埋甕(うめがめ)と呼ばれる土器を使ったお墓であったことがわかりました。 写真左をよく見ると、人面部が逆さになっていますね。 縄文時代の埋甕は幼い子どもが死亡した場合に、現在で言うと骨壷(こつつぼ)のように用いられたとする説や、胎盤を埋納して子孫繁栄を願ったとする説が考えられています。死者を送る葬送儀礼と、子孫繁栄を願う祭祀儀礼、縄文人は埋甕にどのような想いを込めていたのでしょうか。 関連トピックス No.0365上コブケ遺跡B区-県内の人面装飾付土器特集- |