トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0313上コブケ遺跡A・B・C区
ページID:39814更新日:2017年6月13日
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山梨市の遺跡0037足原田遺跡-鞴の羽口-0046足原田遺跡-凸帯付三耳壷-0054延命寺遺跡-台付甕-0221足原田遺跡-食べ物-0296上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器-0302上コブケ遺跡C区-発掘調査速報-0313上コブケ遺跡A・B・C区-発掘調査速報-0365上コブケ遺跡B区-県内の人面装飾付土器特集-0346上コブケ遺跡D区-発掘調査速報-0348上コブケ遺跡D区-発掘体験セミナー-0324廻り田遺跡B区-発掘調査速報-0325膳棚遺跡B区-打製石斧-0330膳棚遺跡A区-調査概要-0358膳棚遺跡D区-発掘調査速報-0368膳棚遺跡D区-発掘調査速報2-0373膳棚遺跡D区-遺跡紹介-0384上コブケ遺跡B区-人面装飾付土器の復原修復-0394上コブケ遺跡C区-ナイフ形石器- |
上コブケ遺跡は西関東連絡道路建設(山梨県甲府市から埼玉県深谷市に至る約110km)に伴い、山梨県埋蔵文化財センターが平成22年度の試掘調査で新たな遺跡を確認して、平成23年5月から9月まで発掘調査を実施しました。 上コブケ遺跡の位置 山梨市北・南地内の兄川(あにがわ)と弟川(おとうとがわ)にはさまれた位置にあり、標高は約369~374mです。 近くにはフルーツ公園や万力公園、建物群が国指定・県指定の重要文化財になっている大井俣窪八幡神社(おおまたくぼはちまんじんじゃ)や、ナウマンゾウの臼歯や骨などが発見された兄川河床遺跡(あにがわかしょういせき)があります。 関連トピックス 上コブケ遺跡A区A区では工事工程と市道により調査区を3ブロックに分けて、調査をしました。 A-1.区からは縄文時代や平安時代の土器が出土して、土坑(大きな穴)、溝状遺構が確認されました。 A-2.区からは近年になって畑の水はけを良くするために砂質土が入れられていたために、平安時代を中心とした土器類はわずかに出土しただけでした。 A-3.区では平安時代の竪穴住居跡7軒、掘立柱建物跡3軒、土坑・柱穴は約100基確認されました。第6号住居跡は、焼失住居(しょうしつじゅうきょ)でした。当時火事で燃えてしまった住居の構築材の一部も残存しており、3.区の中でも注目されます。 【第6号住居跡の炭化材検出状況】 上コブケ遺跡B区B区では工事工程により調査区を5ブロックに分けて、調査をしました。出土した遺物の主体は縄文土器でした。 B-1.区からは縄文時代を中心とした土器類が出土しましたが、暗渠(水路)2基、溜池状遺構1基が近年に機械で掘られて作られたために土器片が点在していることがわかりました。特筆されるのは、縄文時代中期(曽利1.式古段階)の人面付き土器の埋甕(うめがめ)という山梨県内でも出土例が稀少な土器が出土したことです。→詳しくはトピックス0296 B-2.区からは近代の瓦が約0.6mも堆積しており、その下には湧水層で遺物も遺構も確認されませんでした。 B-3.と4.区からは縄文土器が出土し、土坑8基、ピット(小さな穴)6基が確認されました。 B-5.区からは竪穴住居跡1軒、集石遺構1基、土坑15基、ピット24基、埋甕12基、石棒1点、土偶3点が大量の縄文土器とともに確認されました。 以上のことから、B区は縄文時代中期の曽利式土器が使われていた頃(今から約4500年前)には集落の墓域として、活用されたようです。
【写真左から10号埋甕(赤白の棒が約50cm)。9号埋甕の出土状況。9号埋甕の土器片を取り上げて、断面図作成状況。】
上コブケ遺跡C区C区では工事工程により調査区を2ブロックに分けて、調査をしました。出土した遺物の主体は、平安時代の土師器や須恵器でした。 C-1.区では竪穴住居跡3軒、掘立柱建物跡5軒、溝状遺構2条、土坑約40基、ピット約80基が発見されました。住居跡は耕作のため掘削されていましたが注目されるのは、建物に近いピットから完形に近い土器が埋められた状態で発見され、何らかの祭祀(お祭り)が行われたようです。 【C-2.区第5号住居跡土師器の皿・坏出土状況】
C-2.区では住居跡2軒、掘立柱建物跡6軒、溝3条、溝状遺構8条、土坑約60基、ピット約90基、集石土坑1基が発見されました。特筆されるのは、第5号住居跡の四隅から土師器の完形の皿・坏が出土し、カマドの下層からは一部欠けていますが須恵器の小壷が検出され、住居を作る際または廃棄する際に祭祀が行われたと考えられます。
【第5号住居跡とカマド下層出土の須恵器の小壷】 |