トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0338柳坪遺跡
ページID:44406更新日:2016年2月25日
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柳坪遺跡1区~中央道長坂インターチェンジ部分 柳坪遺跡について柳坪遺跡は北杜市の中央自動車道長坂インターチェンジとその本線に所在した縄文時代と平安時代の集落を主体とする遺跡です。本線の調査は昭和48年(1973年)に、インターチェンジ部分の調査は昭和59年(1984年)に実施されました。調査により、縄文時代および平安時代の住居跡や土器などが多数発見されました。 柳坪遺跡発掘調査の意味昭和48年当時、お隣の長野県では富士見町の井戸尻遺跡周辺の調査が総合的に実施されて、縄文中期(約4500~5000年前)の土器の研究が飛躍的に進んでいました。しかし山梨県では土器研究を行うほどのまとまった資料はまだ存在しなかったのです。 そのような状況下で、初めて多量の縄文土器資料を得ることができたのがこの調査でした。「柳坪遺跡の発掘調査成果により、山梨県における縄文時代中期の土器研究が本格的に開始された」といっても過言ではないでしょう。同様に平安時代の土器研究もこの調査によって本格始動したのです。 現在、柳坪遺跡は長坂インターチェンジと中央道本線の下に眠っています。 測量風景(遠くに甲斐駒ケ岳) 縄文土器の出土状況
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