トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0355水口遺跡
ページID:47137更新日:2016年2月8日
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遺跡遠景(北から):遺跡が扇状地の上に立地していることがわかります 甲府盆地の南端には東西15kmに連なる曽根丘陵が存在します。水口遺跡は、その曽根丘陵上の標高約400mの扇状地に位置しています。遺跡は県道の建設工事に伴って発掘調査されました。そのため現在は道路となっており当時の面影をとどめるものはありません。 遺跡からは、めずらしいものとして縄文時代後期前半(約4000年前)の敷石住居跡が2軒発見されました。そのうちの1軒(1号住居跡)については、トピックスNo.125で説明されていますので、今回は残りの1軒(3号住居跡)を取り上げたいと思います。 3号住居跡調査風景:平石が美しく平坦に配置されています 現在でもゴロ寝ができるほどの平らな床2軒の敷石住居跡はほぼ同時期に作られたものですが、構造的にはかなり差があります。すでに説明済みの1号住居跡は、やや丸みのある石をゴツゴツと配置していました。その床で昼寝をしろと言われても辛いところです。しかし3号住居跡の床は、個々の石自体が平坦な面をもったものが選ばれている上、それらの石は高低差がほとんど無いように並べられていました。十分にゴロ寝ができるほどの平らな床が作られていたのです。家を作った縄文人の「執念」のようなものを感じることができます。 かなり使い込まれた囲炉裏3号住居跡の中心には石で囲まれた四角い囲炉裏がありました。囲炉裏の底は広い範囲で真っ赤に土が焼けている上に、周囲の石は熱でひび割れていました。これは囲炉裏が、かなり使い込まれたものであることを示しています。囲炉裏の真ん中には縄文土器が埋設されていました。縄文人たちは、この平らに敷き詰めた石の上に座り、土器を埋め込んだ囲炉裏で火を焚き、いったいどのような言葉を交わし合ったのでしょう。
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