トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0388かんかん塚古墳
ページID:57528更新日:2015年6月4日
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曽根丘陵公園の遺跡
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かんかん塚古墳がある場所かんかん塚古墳は、曽根丘陵公園の中、県立考古博物館・埋蔵文化財センターのすぐ近くにある、古墳時代中期(今から約1,400年前)のお墓です。 上の写真のとおり、周辺には弥生時代末~古墳時代にかけての多くの遺跡がみられます。甲斐銚子塚古墳は全長169mの前方後円墳で、東日本では最大級の大きさです。またつい先日、国の史跡に指定された大丸山古墳では、大陸から渡ってきたと考えられる、当時の日本では超高級品であった甲冑(かっちゅう)や手斧(ちょうな)などが見つかっています。 この地域は、静岡方面とつながる交通路のすぐ近くにあり、ヤマト政権が東国に進出する際の足がかりとして、重要な場所であったと考えられています。 ◆遺跡名:かんかん塚(茶塚)古墳 ◆時代:古墳時代中期 ◆所在地:甲府市下曽根町 ◆報告書:山梨県教育委員会『甲斐茶塚古墳』1979 ◆調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 馬を操り、馬を飾る―馬具―▲写真右が、かんかん塚古墳。背後の山の中腹は大丸山古墳 かんかん塚古墳は、直径26mほどの円墳で、古墳時代中期(今から約1,400年前)に造られたお墓です。すぐそばにある、丸山塚古墳(直径72m)、甲斐銚子塚古墳(全長169m)と比べると、とても小さく見えますが、この古墳には、鉄製の甲冑(かっちゅう)や冑(かぶと)、鉄剣などと共に、ここで紹介する「馬具(ばぐ)」が納められていました。では、この「馬具(ばぐ)」について見ていきましょう。 【鐙(あぶみ)】 同じ形をした左下の2つは、馬に乗る時に人の足をかける部分で、「鐙(あぶみ)」と呼ばれます。中は木で作られていて、その周りに鉄をかぶせてあります。ぱっと見ると、鉄製で重そうに見えますが、中が木なので、持ってみると意外なほど軽いんですよ。 【三環鈴(さんかんれい)】 右上の黒っぽいものは「三環鈴(さんかんれい)」と呼ばれる、馬に付ける青銅製の鈴飾りです。丸い部分が鈴となっており、中には石が入っています。これをつけた馬はシャンシャンという音を響かせながら駆(か)け、圧倒的な存在感を放っていたことでしょう。かんかん塚古墳からは、この他にも「轡(くつわ)」という、馬の口に取り付けて、馬の動きを操(あやつ)る道具も見つかっています。これらの馬具は、当時大陸から伝えられたばかりのもので、大変貴重なものであったと考えられます。 もちろん、山梨県内では今のところ最も古い馬具です。 馬・うま・ウマ…馬は、日本にはもともといなかった種で、弥生時代頃に大陸から運ばれてきたと考えられています。ですから、馬自体がとても貴重であったはずです。 山梨県では、弥生時代おわり~古墳時代はじめ頃のものと考えられる馬の歯や骨が、東山北遺跡(上の写真にあります)と塩部遺跡(甲府市塩部)から見つかっていますが、これは日本にはじめて馬が運ばれてきてから、それほど時代を経ずにこの地域に馬が入ってきていることを示しています。だとするとやはり当時の山梨はヤマト政権とのつながりが強い地域だったということになります。 そして少なくとも、かんかん塚古墳が造られた古墳時代中期ころにはすでに、りっぱな馬具を付けた馬が闊歩(かっぽ)していたのでしょう。 かんかん塚古墳から見つかった馬具は、県立考古博物館の常設展で見ることができます。近くにある古墳と一緒に是非ごらん下さい! 午年を迎えたばかりの年のはじめに、山梨の馬の歴史をひとつご紹介しました。 皆さまにとってよい一年となりますように。 次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
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