トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0387吉田口登山道
ページID:57494更新日:2015年6月4日
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富士吉田市の遺跡 |
富士山吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点として、馬返、冨士御室浅間神社(二合目)、烏帽子岩などの信仰の拠点を結び、山頂まで連続して辿ることができる山梨・静岡両県で唯一の登拝道です。平成23年2月には、信仰の山富士山の中核として「史跡富士山」に含めて、国から指定されました。 吉田口登山道〔よしだぐちとざんどう〕吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点として、馬返、鈴原社(一合目)、冨士御室浅間神社(二合目)、御座石(四合五勺)、経ヶ岳(五合五勺)、烏帽子岩などの信仰の拠点を結び、山頂まで連続して辿ることができる山梨・静岡両県で唯一の登拝道です。 なかでも馬返~五合目は、昭和46年のスバルラインの開通以降は登山者が激減したため、旧来の景観がよく残されています。 ◇所在地 富士吉田市上吉田 ◇時代 平安時代以降 ◇調査期間 平成20年~平成24年 ◇報告書 山梨県教育委員会2012『史跡富士山保存管理計画』〔山梨県版〕 山梨県教育委員会2013『国指定史跡富士山復旧事業(吉田口登山道)報告書 中ノ茶屋・馬返・一合目(鈴原社)地点』 山梨県埋蔵文化財センター調査報告第289集 写真1 富士山吉田口登山道(七合目) 現在の登山道は明治40年に改修馬返~五合目は古い登山道の趣がありますが、しかしよく調べてみると、明治40年に馬の通行のために改修されています。ところどころ、馬で通行しやすいように緩やかな道に付け替えられています。 写真2 現在の登山道(二合目付近) 旧登山道を発見!現在の登山道とは別に、旧登山道らしき痕跡があります。岩盤でない地面では人が通ると、草や木が踏み倒され地面が露出して、雨が降ると水が流れ、土砂を洗い流します。やがて、道が窪んでいきます。写真2「現在の登山道」の状態です。 写真3では、道のように窪んでいますが中央部にも草が生えています。また、大きな木はみな脇にあり、中央にはありません。 写真3 旧登山道(一合目) ほんとうに旧登山道かなぁ?道のように窪み、大きな木の根が露出しています。大雨が降ったときに、雨水の流路となっているようです。古い登山道が流路になった可能性と、もとから流路の可能性が考えられます。国の史跡に指定するためには証拠不十分で、この部分はさらなる調査が必要という判断となりました。 写真4 旧登山道?(三合目) 旧登山道を登る「大日如来」馬返から鈴原社に至る写真5の部分は、建物の位置と古絵図からも、旧登山道であることが確認できるので、指定対象となりました。 この写真は、富士山の山開きに富士講の人達に護られ、青い袴姿の鈴原社宮司さんに背負われて「大日如来」が旧登山道を登っています。 ※旧登山道は、一般の登山道として使うと土砂が流出してしまうので、史跡として後世に伝えるため、こうした神事など特別なときにだけ通行することになっています。 写真5 旧登山道(一合目鈴原社下) |