トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0391国指定史跡大丸山古墳
ページID:58838更新日:2017年5月15日
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大丸山古墳(おおまるやまこふん)
大丸山古墳と甲斐銚子塚古墳・丸山塚古墳 大丸山古墳は、甲府盆地南東部縁に連なる曽根丘陵上にあり、国指定史跡の甲斐銚子塚古墳・丸山塚古墳とともに、現在は甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園の中にあります。甲斐銚子塚古墳・丸山塚古墳より高い、標高310メートル付近の東山中腹の尾根上に立地しています。自然の地形を利用して築かれており、全長は99メートルとも、120メートルともいわれています。 1928(昭和3)年3月、偶然の機会に発見された甲斐銚子塚古墳の後円部の埋葬施設から多くの副葬品が出土した翌1929(昭和4)年3月、大丸山古墳後円部の埋葬施設も地元住民らによって発掘されました。 花崗岩(かこうがん)で作られた石棺を納めた埋葬施設からは、成人男女2体の遺骸(人骨)とともに、同じ花崗岩製の石枕、三角縁神獣鏡を含む鏡3面、鉄製の武器・武具・農工具-手斧(ちょうな)・短甲(たんこう:よろいの一種)・斧(おの)・鉇(やりがんな)・鑿(のみ)・鋸(のこぎり)・刀子(とうす:小刀のこと)・鎌・剣・刀)-、ガラス小玉などの豊富な副葬品が出土しました。これらの大部分は甲斐銚子塚古墳の出土品とともに東京国立博物館に所蔵されるなど、以後広く学界で知られるようになりました。その後、1975(昭和50)年に発行された『中道町史』編さん事業の中で、墳丘測量調査と埋葬施設の調査が行われました。 なお、築造時期については、墳丘から埴輪がまったく確認されていないなど、築造年代を決定づけるような資料はありませんが、墳丘の形が古い特徴を示していること、副葬品のうち鉄製手斧、短甲が最古の型式であることから、現在では4世紀中頃の年代が与えられており、甲斐銚子塚古墳に先行するものの、それほど時期を置かないことが考えられています。 そして、埋葬施設の発見から80年あまりの時を経て、2013(平成25)年10月31日に、国指定の史跡に指定されました。
現在の大丸山古墳現在の大丸山古墳(中央の矢印のところ) 大丸山古墳は、甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園の中にありますが、甲斐銚子塚古墳や丸山塚古墳、公園内の他の遺跡のように史跡(遺跡)公園としてまだ整備されておらず、現況は山林となっています。かつては、冬になると葉が落ちた木々の間から高台にある大丸山古墳の墳丘を眺めることができましたが、現在はかなり見えにくくなっています。一方、大丸山古墳の墳丘に登ると、木々の間からは前を流れる笛吹川やさらに前面に広がる甲府盆地を垣間見ることができます。 2014(平成26)年2月、山梨県内は記録的な大雪に見舞われましたが、このような状況の中、笛吹川の土手から公園を眺めると、雪におおわれた大丸山古墳の墳丘をはっきりと見ることができます(写真の中央、凹んだ右側が前方部、少し高い左側が後円部)。 大丸山古墳は、今後史跡公園に向けた整備事業が計画されています。発掘調査による墳丘の規模や葺石の状況など、これまでわからなかった部分の解明とともに、甲府盆地が一望できる公園整備が期待されています。 また、公園の南にある天神山古墳(全長132メートル)においても発掘調査が行われており、甲斐銚子塚古墳を含め、旧中道地域にあるこれら3基の大型前方後円墳の動向がますます注目されます。 甲府盆地における3世紀後半~5世紀初頭の墳墓の変遷 参考文献 小林健二2009「大丸山古墳の埋葬施設-調査報告書『甲斐大丸山古墳』から-」『山梨考古学論集6.』山梨県考古学協会 |