トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0457隼遺跡の立地
ページID:77709更新日:2025年12月24日
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山梨市の遺跡
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遺跡トピックスNo.0457
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礫れき層や火山角礫れき岩の層もある!

隼山の北側斜面
隼山に北側の斜面から登ると右のような露頭が見られます。隼山の東側と比べるとまったく別の様相です。ところが、この地層も山口軽石凝灰岩に含まれる火山礫層や火山角礫岩層です。
直線的な掘り方の大黒窟に対して、下の写真の大士窟は入り口も内部の形状もまったく異なります。どちらかというとドーム型です。

大士窟の入り口側から見た全景(工事前)
右の図は、工業技術院地質調査所(地質調査総合センターの前身)が昭和59年に発行した地域地質研究報告「御岳昇仙峡地域の地質」の中で報告している山口地区で調べた山口軽石凝灰岩の地層の柱状図です。
この図を見るとAやBの凝灰岩層以外にもCやDの火山礫層や火山角礫岩層が存在することがわかります。裏山の露頭は、ちょうどC層やD層といった礫を中心とした地層を見ていることに他なりません。
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山口軽石凝灰岩の《山梨市牧丘町山口地区における》柱状図 (三村1971) A:成層した凝灰岩層a:輝石の結晶粒や石質岩片に富む層 B:塊状凝灰岩層b:b:軽石に富む層 C:火山礫層c:斜層理の見られる火山灰層 D:火山角礫岩層 Pm:軽石Lp:火山礫 Tf:火山灰Vb:火山岩塊
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同じ山口軽石凝灰岩とはいえ、これだけ性質が違うと洞窟の掘りかたも変わってきます。
大黒窟より高さにして10mほど低いところに位置する大士窟は下の写真でわかるように、大小の礫を大量に含む火山角礫岩を彫り込んで造ったものです。発掘調査時には、崩れやすい岩石に輪をかけて表面の風化が進んでいてちょっとした地震でも人の頭よりも大きな岩が落ちてきそうな危険な状態でした。(現在は壁面にコンクリートを吹き付けて安全対策が施されています)大士窟が造られたと思われる数百年前は、いくらか風化の程度は少なかったでしょうが、火山灰主体の岩石ですから安山岩や花崗岩といった硬い岩石とは比べものにならないくらい崩れやすかったはずです。崩れやすいということは、裏を返すと洞窟などを掘りやすい岩石と言えます。大黒窟と同じように平面主体の加工は無理ですが、金槌や石ノミを使ってドーム状に掘ることは比較的容易だったはずです。崩落の危険さえなければ、窟づくりにはうってつけの場所だったわけです。

大士窟の天井をつくっている岩石。
今にも落ちてきそうなものもありました。
このように隼遺跡のふたつの窟は、この地域を広く覆う山口軽石凝灰岩という掘りやすい岩石でできた崖があったがゆえに造ることができた洞窟と言えます。その形の違いは、それぞれの岩石の違いからくるものです。
崩れやすい山口軽石凝灰岩にもかかわらず崖という形で残った隼山。その中腹で人里を見下ろすことができるという立地条件も宗教的施設を造るのに大切な要素だったのかも知れません。先人は、この窟から見下ろす光景にどんな思いを馳せていたのでしょうか。
大士窟からは眼下に塩山の街を見下ろせます。遠く甲府盆地の一部も望むことができます。
