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ページID:76642更新日:2017年4月27日
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甲州市の遺跡
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遺跡概要一ノ坪遺跡は甲府盆地の北東部、甲州市塩山熊野に所在する遺跡です。塩川が形成する河岸段丘上に立地しており、平安時代末から中世にかけて於曽屋敷をはじめとする屋敷が集中する地域になります。 平成7年10月~12月、平成8年4月~5月に県営塩山熊野団地の建設に伴い発掘調査を実施しました。その結果、縄文時代前期~中期、平安時代末頃の集落跡等を発見しました。 今回は、その発見した遺構・遺物のうちSB08から出土した白磁に焦点を当ててみたいと思います。 遺跡名:一ノ坪遺跡 時 代:縄文時代・平安時代 所在地:甲州市塩山熊野 報告書:山梨県教育委員会 『第141集 一ノ坪遺跡発掘調査報告書』1997 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 関連トピックス 調査区全景 白磁って??白磁とは白い胎土に無色透明の釉薬をかけて高温で焼き上げた焼き物をいいます。 中国の唐代(618~907)の末から宋代(960~1279)にかけては、白磁は世界的に人気となり、生産量が増大し、船に乗って日本にももたらされるようになります。当初は輸入量は少なく、官吏の独占などもあり、流通したのは北九州などの限られた地域の富裕層のみでした。しかし11世紀後半から12世紀になると、広く流通するようになります。山梨県内でも韮崎市の中田小学校遺跡などで出土例があります。 一ノ坪遺跡から出土した白磁 全国的な事例白磁が流通するようになった背景には、一因として当時盛んに作られるようになった「経塚」の影響が考えられています。 当時は、仏の教えが廃れ、世界が荒廃するという「末法思想」が流行した時代でした。そのような状況の中で経塚は、後に人々を救う救世主(弥勒菩薩)が現れるときに備えて、大事な経典を保存するためにつくられたものとされています。山梨でも甲州市の白山平経塚や柏尾山経塚など多くの経塚が築かれています。 経塚には仏典を納める経筒や仏具の他、輸入された陶磁器が副葬品として用いられることがありました。特に合子(蓋付きの小さい容器)や小壺類は白磁のものがほとんどで西日本から関東地方にかけての経塚にみられます。経塚を築いた人たち(権力者)が貴重な経典と共に埋納していたことを考えると、白磁は特別な品であったのだろうと考えられます。 一般的な建物跡から?一ノ坪遺跡から出土した白磁は、長径3.85m、短径3.65mの大きさだけをみると一般的な規模の竪穴建物跡から出土しています。もしかしたらこの集落の経営者が、白磁を入手できるような権力を持った人達だったのかもしれません。いずれにせよ、当時の貴重品とみられる白磁が出土しているということは、遺跡が所在するこの地も東アジアの交易ネットワークの中に組み込まれていたことを示しており、一ノ坪遺跡において集落の外との物流があったことがうかがい知れます。
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