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ページID:86747更新日:2018年8月6日
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市川三郷町の遺跡 |
赤烏元年銘神獣鏡(レプリカ:山梨県立考古博物館で展示中)
赤烏元年鏡が発見された鳥居原狐塚古墳や赤烏元年鏡自体については、遺跡トピックスNo.0419で、赤烏元年鏡の製作時期をめぐる国際情勢を書き、呉から直接もたらされた可能性を書きました。 今回は、その銘「赤烏元年五月廿五日丙午造作明竟百錬清銅 服者君候宣子孫寿万年」の中の「五月廿五日丙午」について書いていきます。 五月廿五丙午は、実際の日付でしょうか?じつは金属精錬・鋳造の吉祥句で、実際の日付とは全く関係ないんです。 たとえば、石上神宮所蔵七支刀の銘文解釈については、以下のとおりとなります。
泰■四年■■月十六日丙午正陽造百練■七支刀■辟百兵宜供供侯王■■■■作
様々な年号の解釈がされている七支刀ですが、月の部分は「五月」で研究者の間で一致しています。「五月丙午」自体が自明となっているわけです。 参考図書:宮崎市定 『謎の七支刀』中公新書1983
五月丙午が金属精錬・鋳造の吉祥句となる背景には、五行思想があります。五行説で五月は火徳とされており、各元素の関係は、水生木、木生火、火生土、土生金、金生水、水克火、火克金、金克木、木克土と考えられています。このことからもっとも火徳の強い5月、特に十干の丙は陽の火、十二支の午は陽の火で比和となり、盛夏を意味する五月丙午が金属精錬・鋳造のための取火、ひいては、金属精錬・鋳造そのものに向いていると考えられるようになったのではないかと思われます。
五月丙午と金属精錬にかんする思想について書かれているのは『淮南子』『論衡』『抱朴子』『捜神記』などが一次史料となります。
葛洪の『抱朴子』内篇卷之十七に剣の造り方が書かれています。『抱朴子』は晋代に書かれた神仙思想、練丹術の書です。 又金簡記云以五月丙午日日中擣五石下其銅 五石者雄黃丹砂雌黄礬石曾青也 皆粉之以金華池浴之内六一神爐中鼓下之 以桂木燒爲之銅成以剛炭鍊之 令童男童女進火取牝銅以爲雄劒取牡銅以爲雌劒 各長五寸五分 取士之數以厭水精也 帶之以水行則蛟龍巨魚水神不敢近人也。
以下読み下し文です。 又、金簡記に云う。五月丙午の日中をもって五石を擣きて其の銅を下す。 五石は雄黄、丹砂、雌黄、礬石、曾青也。 皆これを粉し、金華池を以てこれを浴し、六一神爐中に内れて之を鼓下す。 桂木を以て燒きて之を為す。銅成れば、剛炭を以て之を練る。 童男童女をして進火せしめ、牝銅取ららば以て雄剣と為し、牡銅取らば以て雌剣と為す。 各長さ五寸五分。 士の数を取りて以て水精を厭う也。 之を帯びて以て水行すれば、則ち蛟龍、巨魚、水神はあえて人に近づかざる也。 このように五月丙午が使われています。このように造った剣には蛟竜や巨魚、水神を遠ざける力をもつと書かれています。 『論衡』では凹面鏡を使用して火を起こす方法について書かれています。 陽隧取火於天,五月丙午日中之時,消鍊五石,鑄以為器,磨礪生光,仰以嚮日,則火來至, 比真取火之道也 陽燧は、天に火を取り、五月丙午日中の時、五石を消鍊し、鋳して以て器となし、 磨礪すれば光を生み、仰ぐに日に向かうを以てすれば、則ち火来る(起きる)。 これ、真に取火の道なり。 また、『捜神記』巻十三では、金属の性質について書かれています。 夫金錫之性一也、以五月丙午日中鑄、為陽燧。以十一月壬子夜半鑄、為陰燧。 夫れ金錫の性は一なり。五月丙午日中を以て鋳さば、陽燧となり、 11月壬子夜半を以て鋳さば、陰燧となる。 とあります。五月丙午に鋳造した(鏡は)太陽で火を起こすためのもの(陽燧)であり、11月壬子に鋳造した(鏡は)月光の下、露水を集めるためのもの(陰燧)である。と解釈出来ます。 (「陽燧」、「陰燧」が鏡を指すことについては、まず「燧」火打ち道具のことを指していますが『周禮·冬官考工記』によれば「金有六齊,金錫半,謂之鑒燧之齊」とあり、さらに「鑒、鏡屬」とあります。鏡が火起こし道具の一つとして認識されていたことがわかります。「陰燧」については『淮南子』「夫陽燧取火於日。方諸取露於月」「方諸、陰燧、大蛤也」「許慎注曰諸珠也、方石也、以銅盤受之下水数升」という記述があり、「方諸」と「陰燧」はおなじものであり、「燧」という意味合いから考えても凹面鏡であると考えられるため、「鏡」としました。)
上記が中国の思想書における五月丙午と金属精錬に関する史料になります。そのほとんどが金属精錬・鋳造に関するものですが、五月丙午(盛夏)に鋳造を行うことが必ず書かれています。五月丙午(夏)と金属の思想的関係は非常に歴史的なものであり、その思想的な源流は、中国の五行説にあります。
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