トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県埋蔵文化財センター > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックス一覧 > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.484上コブケ遺跡
ページID:87005更新日:2018年8月29日
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上コブケ遺跡
所在地 :山梨市南地内
時 代 :縄文時代、古墳時代~平安時代
調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
報告書 :山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第296集 上コブケ遺跡
上コブケ遺跡は、埼玉県深谷市から山梨県甲府市桜井町(山梨英和大学の辺り)に至る約110kmをつなぐ地域高規格道路(通称:西関東連絡道路)の建設に伴い、発掘調査されました。発掘調査は広範囲に及び、平成23年度に上コブケ遺跡A~C区、24年度に上コブケ遺跡D区、28年度に上コブケ遺跡E区をおこないました。上コブケ遺跡周辺には、ナウマン象等の化石(県指定)などが発見された兄川河床遺跡、平安時代末期の土師質土器を生産した荒神山窯跡、窪八幡神社(国指定)、西関東連絡道路建設に伴い発掘調査された廻り田遺跡や膳棚遺跡など多く文化財が存在する地域です。
遺跡は山梨市北・南地内の兄川と弟川に挟まれた山腹のなだらかな南向きの緩斜面(標高約375m)に位置します。現在この地域はモモやブドウなどの果樹栽培が盛んで、調査前の調査区も果樹畑として利用され、小区画ごとに段差が存在しています。
埋甕は縄文時代の風習の1つで、住居の中や外に土器を埋めることを言います。埋甕と聞きますと下の写真のようなものが思い浮かぶ方もいると思います。土器をそのまま置いた状態を「正位(せいい)」、逆さまの状態においた状態を「逆位(ぎゃくい)」と呼びます。下の写真を見ると、底に小さな孔が開けられています。
正位の埋甕(上コブケ遺跡E区) 逆位の埋甕(上コブケ遺跡B区)
実はこの埋甕の中に、大きな土器の破片が入れられていることがあります。入れられている土器片は、縄文人が外側の土器の底部を意図的に打ち欠いて、その土器の中に打ち欠いた土器片を入れています。まるでロシアのマトリョーシカ人形のようです。もしかしたら何か意味が込められたのかもしれません。ちなみに入れ子状というのは正式な呼称ではなく、写真のような出土状況の場合は正位と記録するのが正しいですが、備考に入れ子状と書いたりします。
土器の底部を逆さまにして、内包した埋甕(写真左:上コブケ遺跡E区、写真右:上コブケ遺跡B区)
私たちの仕事は発掘調査をするだけではありません。発掘調査が終わると報告書を刊行するために整理作業をおこないます。整理作業では報告書に掲載するために、遺物の図面を描いて写真撮影をします。出来上がった報告書は文化庁や国立国会図書館、山梨県内の図書館、日本全国の埋蔵文化財センターや大学の図書館へ発送して、遺跡の詳細な情報を公開します。
山梨県埋蔵文化財センターの場合、報告書の刊行が終わると遺物は山梨県立考古博物館へ移管され、展示されるくらい立派な遺物は考古博物館や県外の博物館で展示されます。
逆位で展示されている中央の土器が上コブケ遺跡B区で出土した人面装飾付土器。ボランティア解説員が入館者に説明している。(考古博物館内)
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