ページID:53997更新日:2024年11月21日
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ハンセン病は、かつては「らい病」と呼ばれた、感染力の極めて弱い病原菌による、慢性の感染症です。
日本においては、1907年(明治40年)に「癩らい 予防ニ関スル件」が制定され、らい病患者の隔離収容が始まり、1931年(昭和6年)に制定された「癩予防法」では、ハンセン病患者を強制的に療養所に隔離するなどの政策がとられました。1953年(昭和28年)に「らい予防法」となったあとも、外出制限や強制入所、消毒などの政策は残り、1996年(平成8年)に廃止されるまでの90年もの長い間続きました。
この誤った政策により、ハンセン病の患者が家族と強制的に別れさせられるという不幸を生んだだけではなく、人々の病気に対する強い偏見・差別の意識を助長させ、さらに、戦後「プロミン」という特効薬の出現により病気が治癒できるようになったにもかかわらず、隔離政策を続けたことで、病気から快復した患者が社会で自立して暮らすことを極めて困難にしてしまいました。
現在も、ハンセン病の元患者の多くは、病気の快復後も療養所で暮らしています。それは、長い療養所での生活により、自立して社会生活を送ることが困難であることや、いまだに残る根強い偏見や差別により、戻る家族や故郷を失っている方も少なくないからです。
また、病気の後遺症による視覚障害や肢体不自由などの障害に加え、平均年齢が80歳を超える高齢化も、社会復帰を妨げる大きな原因となっています。
このことから、山梨県では、県民一人一人がハンセン病についての正しい知識を持ち、ハンセン病に対する偏見や差別が社会からなくなるよう、そして、ハンセン病の元患者の方々が安心して暮らせる社会を一緒に築いていけるよう、人権啓発活動の一環としてハンセン病に関する知識の普及啓発を進めております。
ハンセン病は、らい菌によって、主に皮膚や末梢神経が侵される慢性の病気です。この菌の病毒性は非常に弱く、感染しても発病することはきわめてまれです。1943年のプロミンに始まる治療法の発達によって、確実に治る病気となりました。現在では、リファンピシン等を含む、短期間の多剤併用療法が広く行われています。
ハンセン病は
1943年のプロミンに始まる治療法の発達によって、ハンセン病は確実に治る病気となりました。現在では、リファンピシン等を含む、短期間の多剤併用療法が広く行われています。
治療法がなかった頃には、この病気は「らい」あるいは「らい病」と呼ばれ、不治の病と考えられた一方、顔面や手足などに現れる後遺症がときには目立つことから、恐ろしい伝染病のように受けとめられてきました。そのために、わが国は「らい予防法」によって、全ての病者を療養所に隔離収容するという厳しい対策を取りました。
しかし、隔離を定めた予防法は1996年に廃止され、現在では普通の病気と同様一般医療機関で治療可能な疾患となっています。
山梨県では、ハンセン病に対する、広く正しい知識の普及啓発に努めるとともに、ハンセン病療養所入所者等への福祉施策を実施しております。
小川正子は、大正から昭和にかけ、ハンセン病患者の救済に生涯をささげた医師です。
山梨県出身であり、故郷の春日居町(現・笛吹市)には「小川正子記念館」もあります。
小川正子についての詳細は、次のページをご覧ください。
・山梨県広報誌「ふれあい」特集号vol.29(平成23年8月発行) やまなしの偉人たち-小川正子