トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0010大師東丹保遺跡
ページID:4411更新日:2017年3月14日
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南アルプス市の遺跡0006十五所遺跡-方形周溝墓-0010大師東丹保遺跡-網代-0108大師東丹保遺跡-遺跡から発見された地震のツメ跡-0149大師東丹保遺跡-木製品-0200大師東丹保遺跡-出土した種子は何?-0259大師東丹保遺跡-下駄-0287大師東丹保遺跡-扇子の骨組-0357大師東丹保遺跡-洪水に埋もれた中期古墳-0392大師東丹保遺跡-地震痕のある遺跡-0017二本柳遺跡-木棺墓-0122二本柳遺跡-福寿院跡-0164二本柳遺跡出土の擂鉢-0276二本柳遺跡-火きり臼-0023宮沢中村遺跡-昆虫・網代-0051仲田遺跡-田んぼ-0052百々遺跡-八稜鏡-0065百々遺跡-錘-0066百々遺跡-馬の骨-0101百々遺跡-洪水の跡-0136百々遺跡-浄瓶-0172百々遺跡-平安時代の住居跡-0269百々遺跡-黒色土器-0274百々遺跡-古代のウシ・ウマ-0077善応寺遺跡-祭祀の水場-0081油田遺跡-田んぼと木製品-0144油田遺跡-木製竪杵-0231油田遺跡-体験学習用の復元品-0084堤防遺跡No.23-堤防の内部-0409釜無川堤防跡遺跡-0105石橋北屋敷遺跡-道路跡・区画溝-0106村前東A遺跡-パレススタイルの壺-0241村前東A遺跡-手焙形土器-0250村前東A遺跡-住居跡-0286村前東A遺跡-S字甕-0139宮沢中村遺跡-茶碗の焼継ぎ-0163大塚遺跡-約1,700年前の家の跡-0168新居道下遺跡の住居跡-0216長田口遺跡の鏡片-0340向河原遺跡-水田跡と杭列- |
大師東丹保遺跡の中心となるのは、県内では、まだ発見例の少ない、鎌倉時代のムラの跡です。一般国道52号(甲西道路)改築工事・中部横断自動車道建設工事に伴って1993(平成5)年度から1994(平成6)年度に発掘調査しました(調査面積は、幅約40m、南北約400m)。 この遺跡では、建物跡や杭で補強された護岸施設を持つ水田・水路跡などが見つかりました。 この土地は、昔から洪水常襲地であり、湧き水も多い低湿地でした。そのため、遺物が泥の中で空気に触れないで、真空パックされたような状態になり、通常では残りにくい木製品が数多く出土したことが特徴です。 この遺跡からは、鎌倉時代の集落の一風景が想像できます。
所在地:南アルプス市(旧中巨摩郡甲西町)大師字東丹保および清水字川原田
時代:弥生時代、古墳時代、鎌倉時代、明治時代
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第131集、132集、133集1997年(平成9年)刊行他に概報(第86集、第102集)
調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 〔写真〕(左より)平成5年度発掘調査全景、杭列の発掘の様子、網代(あじろ)の発掘の様子 出土した遺物出土した遺物は、かわらけ、鍋などの土器片、中国製磁器をはじめ、漆塗りの椀、箸、下駄などの木製の日常生活用品や、櫛、扇子などの装身具、人形(ひとがた)、斎串(いぐし)といった祭祀具、祭祀で使用されたと考えられる馬など動物の骨、まじない札であった呪符(じゅふ)、古銭・鎌といった金属製品など多種多様なものです。
これらの様々な遺物から、鎌倉時代の人々の日常生活から精神生活までをもかいま見ることができます。 〔写真〕 (上段左より) カボチャとスイカが描かれた漆塗りの椀、歯が高い下駄、櫛、烏帽子をかぶった人を表す人形(ひとがた)、呪符 (下段左より) 斎串(いぐし)、網代(あじろ)、網代部分拡大
斎串は、今年度発掘調査された平田宮第2遺跡(平田宮ニュース第7号)でも出土しています。 網代(あじろ)〔写真〕(左)網代、(右)保存処理された網代
こうした出土品の中で、とくに目を引く大型の網代は、『一遍上人絵伝』や『法然上人絵伝』などの鎌倉時代の絵画資料に見える網代垣や網代壁に共通するものと考えられ、非常に貴重な資料と言えます。
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