トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0094 清里バイパス第1遺跡
ページID:4367更新日:2017年6月5日
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北杜市の遺跡
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シリーズ山梨県で見つかった「陥し穴」No.1これは、清里バイパス第1遺跡の縄文時代の陥し穴です。 この穴は、何をするためにつくったのでしょうか? 写真の赤丸の場所が「清里バイパス第1遺跡」です。 所在地北杜市高根町清里3545-1 時代縄文時代・中世 報告書「清里バイパス第1.2遺跡」山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第124集1997年3月 調査機関山梨県埋蔵文化財センター ここに何ができたのですか?「清里の森」地内に清里バイパス(主要地方道須玉・八ヶ岳公園線)ができました。 何が見つかったのですか?縄文時代(今から約4,300年前)と中世(今から700年前後くらい前)の「陥し穴」が見つかりました。 陥し穴は何基見つかったのですか?全部で76基です。当初はこんなに見つかるとは思ってもいませんでした。 どんな遺物が見つかったんですか?陥し穴の中からは、遺物は見つかりませんでした。 でも、表土を掘削したときに縄文時代中期の土器片が数点と、遺構確認の時に石鏃1点が見つかりました。 ところで、この穴は何をするためにつくられたのですか?この穴は、獣(けもの)を捕まえるためにつくられました。 写真4だけほかの陥し穴と形が違って、細長い形をしています。写真1,2,3,6は、楕円形や長方形をしていて、イノシシなどの足の短い動物を捕まえたと考えられています。細長い形の写真4は、シカなどの足の長い動物を捕まえていたのではないかと考えられています。 遺跡の標高はどれくらいですか?なんと、遺跡の標高は1,308m前後です。 通称「念場原」と呼ばれている八ヶ岳東南麓に位置しています。 周辺にも遺跡があるのですか?すぐ近くに「清里の森第1遺跡」(縄文時代中期)や「清里の森第2、第3遺跡、第4遺跡」(縄文時代)があり、やや離れた場所に「念場原A遺跡」(縄文時代)があります。 いろいろな陥し穴の底にある小さな穴は何ですか?底に穴が開いていますが、この穴に棒などを立て、獣が逃げないようにつくられたものと思われます。 写真は左から1,2,3です。 写真1は、両端に2つの穴があり、写真2は、ほぼ中央に小さな穴がありました。 写真3は、土が堆積した状況です。まん中の黄色っぽい土の廻りには、黒い土が巡っています。これらの土は、穴の中に積もった土です。 写真は左から4,5,6です。 写真4は、中世頃の「陥し穴」と思われます。本遺跡では、細長い穴がいくつか見つかっています。この「陥し穴」の特徴は、狭い穴の中に1列になって規則正しく穴が開けられていることです。 写真5は、黒くなっている小さな穴を掘る前の写真です。この穴を掘りあげると写真6のようになり、二列に並んで穴が出てきました。 写真は左から7,8です。 写真7は、発掘調査の様子です。狭い穴の中での作業は、とてもつらかったです。 作業員の皆さん、ご協力ありがとうございました。 写真8は、図面作成作業風景です。 図1全体図です。やせ尾根の南西斜面には、たくさんの「陥し穴」が見つかりました。 次回は、「南大浜遺跡」を掲載する予定です。こうご期待! |