トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0095塚越遺跡
ページID:4641更新日:2017年5月17日
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塚越遺跡(つかこしいせき)写真塚越遺跡全景(縄文時代後期) 塚越遺跡は、富士河口湖町河口字塚越地内にあり、河口湖の北東岸の緩やかな斜面地に位置しています。河口2期バイパス建設工事に先立ち、平成16(2005)年度に発掘調査を行いました。 調査の結果、縄文時代後期・晩期の住居跡や弥生時代の焼土跡・土坑、江戸時代の土坑が検出されています。今回は地表から約3mの深さから発見された縄文時代後期(今から約4,000年前)の住居跡を紹介します。
所在地:南都留郡富士河口湖町河口字塚越 時代:縄文時代、弥生時代、平安時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター発掘調査報告書第237集2006(平成17)年刊 山梨県埋蔵文化財センター 柄鏡形敷石住居跡(えかがみがたしきいしじゅうきょあと)写真1塚越遺跡の柄鏡形敷石住居跡
写真1は塚越遺跡で発見された縄文時代後期初頭の敷石住居跡です。四角形の炉を中心にして五角形に石を敷き詰めた居住部(写真奥)と、石棺のように石を配置した入り口部(写真手前)を組み合わせた柄鏡形敷石住居がほぼ完全な形で発見されました。入り口部から居住部奥までの大きさはおおよそ4.5mで、敷石のほとんどは自然石で造られていましたが、凹石や磨り石などの石器が敷石の一部として利用されていました。 柄鏡形敷石住居跡については、遺跡トピックスNo.0013(塩瀬下原遺跡)、No.0063(大月遺跡)、No.0089(宮の前遺跡)を参照してください。 写真2入り口部から出土した土器 写真3土器の出土状況
写真2は敷石住居跡の入り口部から出土した土器です。高さは約42cm、幅は最も広い部分で38cmの大きさです。この土器は敷石住居跡の入り口部分に敷き詰められたように出土しており、敷石住居を使わなくなった後に、入り口部で土器を壊し、敷き詰めることでなんらかのお祭りをしていたことが想像されます。 |