トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0106 村前東A遺跡
ページID:4397更新日:2017年5月24日
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写真南から4.a区・5.区をのぞむ。手前の小さな四角は家の跡。
村前東A遺跡は、国道52号のバイパスと中部横断自動車道建設に先立ち、平成2~8(1990~1996)年に5回にわたって調査された遺跡です。この地は度重なる御勅使川(みだいがわ)の氾濫の被害を受けやすい地域なのですが、古墳時代前期(今から1,600年ほど前)と平安時代(今から1,100年ほど前)には大規模なムラが営まれていたことが、発掘調査によって明らかになりました。とくに古墳時代前期には、約100年間にわたり141軒もの家がつくられ、そこからは甲斐地域の土器のほか、濃尾平野や北陸地方で使われていたのとほぼ同じ形の土器などが多数発見されており、古墳時代の早い段階から他地域との交流がさかんにおこなわれていたことを知ることができます。
所在地:南アルプス市(旧櫛形町)十五所・(旧若草町)十日市場 時代:弥生時代後期・古墳時代前期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第157集(1999年3月) 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 写真左たくさんの住居跡が重なって見つかりました。写真右土器が出土したところ
「パレススタイル」~その優美な文様~写真は遺跡で見つかった壺です。他の土器と異なり、粘土を精製する段階からとても丁寧に作られていて、大きく開いた口の内側や外側の頸から胴の部分にかけて、美しい文様が描かれています。この土器のように髪をとかす時に使う櫛のような形の工具で、いっぺんに複数の横線を描いたり、土器の表面を刺すことでより精緻な文様をつけたり、さらには表面を赤く塗った土器を「パレススタイル」と呼んでおり、もとは濃尾平野(愛知県)で作られ始めました。
村前東A遺跡のパレススタイルの壺は、底の部分にわざと穴があけられていることから、日常の生活には使われたものではなくマツリに使われたと考えられます。1,600年前にこの土器を使って、この地でどのような儀礼が行われていたのでしょう?
パレススタイルの壺は村前東A遺跡の他、韮崎市坂井南(大原)遺跡などでも見つかっていますが、県内では数少ない貴重な資料の一つです。
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