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ページID:4409更新日:2017年6月5日
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北杜市の遺跡
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遺跡トピックスNo.0109「原町農業高校前(下原)遺跡」〔はらまちのうぎょうこうこうまえ(しもっぱら)いせき〕北杜市 遺跡トピックスNo.0100に続く第4弾、シリーズ山梨県で見つかった「陥し穴」No.4 遺跡から八ヶ岳を望む(北杜市長坂町) 所在地北杜市長坂町渋沢(北杜高等学校校内) 時代縄文時代・古墳時代・平安時代 報告書「原町農業高校前(下原)遺跡(第1次)」山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第210集 調査機関山梨県埋蔵文化財センター ここに何がつくられたのですか? 峡北地区総合学科高校整備事業に伴い、駐車場予定地および飼料園部分、生徒実習更衣室、体育館などの跡地を調査して、とても新しい校舎が建設されました。原町農業高校前(下原)遺跡は、どんな遺跡ですか? 長坂台地に営まれた縄文時代の大集落で、この長坂台地は標高600mから800mあります。そして、遺跡の標高は623m前後に位置しており、西の端には宮川が、東端には鳩川が流れています。遺跡はこの川に挟まれ、南北に長く延びた尾根の先端に立地しています。 また、この遺跡の周辺には、多くの縄文時代の遺跡が存在し、下原(したはら)遺跡(縄文時代)、下屋敷(しもやしき)遺跡(縄文時代)、上久通(かみくず)遺跡(縄文時代)、宮久保(みやくぼ)遺跡(縄文時代)、下村南(しもむらみなみ)遺跡(縄文時代)があります。 調査面積と調査期間については、第1次調査(5,237平方メートル)2000年5月から12月(第1図の○の部分とすぐ上の箇所)、第2次調査(14,000平方メートル)2001年5月から12月(第1図の中央右側の箇所)、第3次調査(2,270平方メートル)2002年6月から10月(第1図の右下の箇所)と行ってきました。調査面積全体では、21,507平方メートルです。 下の図を見てください。第1図の中央右寄りに縄文時代の集落がつくられています。第2次調査により約100軒の住居跡と土坑約400基が調査されました。このほか、平安時代の住居跡が3軒見つかっています。 第1図(上の図)の○の中に第1次調査で見つかった陥し穴が存在しています。 第2図(下の図)は、第1図の○の中を拡大しました。矢印の先にある第28号土坑が陥し穴です。 (第1図と第2図では、方位の向きがが異なっていますのでご注意してください)。 今回はどんな陥し穴ですか? 下の写真のような楕円形をしており、穴の底中央に3本と右端に3本の穴が見つかりました。シリーズ「陥し穴No.1,No.2,No.3」で紹介した陥し穴とちょっと異なっています。 陥し穴の状況写真(第28号土坑) 左の図が陥し穴の平面図(へいめんず)、右の図が土層の堆積図(たいせきず)です。 この28号土坑の他に、247号、286号、287号土坑も構造が似ていることから陥し穴と考えられます。 さまざまな形をした陥し穴がありますが、地面に掘られた土坑(どこう)とどこが違うのでしょうか。一般的に「陥し穴」といわれているものについては、動物を捕まえるための土坑で、上面の形が楕円形をしており、底に杭を立てるために小さな穴があけられていたり、底が極端に狭いものなどがあります。杭があるために、この穴に落ちると抜け出すことができません。また、底が極端に狭いため、足が底に届かずはい出ることもできません。このような穴を「陥し穴」と呼んでいます。 今回、紹介しました28号土坑ですが、いつ頃の陥し穴でしょうか。まず周囲に早期の竪穴状の遺構があり、土坑については、早期、中期、後期があります。また、第2次調査では中期の集落が営まれていることなどから、遺物の出土がなくはっきりとしたことは言えませんが、縄文時代早期から中期頃と思われます。 シリーズ山梨県で見つかった「陥し穴」も参考にしてください。 |