トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0144 油田遺跡
ページID:4393更新日:2017年5月30日
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南アルプス市の遺跡
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油田遺跡は、南アルプス市田島字油田地内に位置し、甲府盆地西側の滝沢川の流域にあり、標高260mを測ります。付近には、弥生時代から古墳時代・平安時代を経て中世にいたる集落遺跡が数多く発見され、甲府盆地における低湿地遺跡の様子をかいま見ることができます。 平成4~5年に一般国道52号(甲西道路)改築工事と中部横断自動車道建設工事に伴う事前調査のため、東西40m、南北230mの範囲で山梨県埋蔵文化財センターが発掘調査を実施しました。 調査の結果、弥生時代中期(今から約2,000年前)の地震痕跡をはじめ古墳時代後期(今から約1,500年前)の祭祀遺構や平安時代(今から約1,300~700年前)の水田跡などが発見されました。弥生時代中期の土器は、長野県や静岡県の土器と共通した特徴を持ち、当時の文化交流の中継地であったと考えられます。
所在地:南アルプス市(旧中巨摩郡甲西町)田島字油田 時代:平安時代、古墳時代、弥生時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第130集1997(平成9)年3月刊行 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 平安時代の水田跡弥生時代の地震痕跡 木製竪杵竪杵は、丸太の中程を手で握られる位の太さに削ったもので、その部分を持って上下に動かして、臼の中の穀物をつき、脱穀などに使われた道具です。右の絵のように「月でウサギが持っているもの」としてイメージされていますね。 弥生時代の竪杵は、静岡県の登呂遺跡をはじめ佐賀県から宮城県まで、各地から出土しています。まさに、右のような銅鐸(どうたく)に描かれている竪杵が実際に使われていたことがわかります。
大陸から稲作が伝わった弥生時代の稲の刈り取りは、稲の成長にばらつきがあるため石包丁(いしぼうちょう)で穂摘みされ、そのまま臼に入れ竪杵でつき、籾殻を取り除き玄米にしたと考えられています。
油田遺跡から出土した竪杵
油田遺跡で発見された竪杵は、山梨県でこれまで発見された中では、最古の農具です。大きさは、最大長78.5cm、最大幅7.2cm、材質はアカガシ亜属で、表面には当時の最先端技術である鉄製の工具で削られた加工痕が見られます。 油田遺跡では、どのような穀物の脱穀に使われていたのでしょうか。その問いを解く鍵は、昨年発表された油田遺跡出土の弥生時代中期の土器を用いた詳細な分析(レプリカ・セム法)により示されました。 分析結果から、土器に見られる圧痕が玄米痕や籾圧痕などであることが判明され、また現生標本との比較から人為的な脱穀の可能性が指摘されたことです。 油田遺跡の竪杵が稲の脱穀に使われ、当時、お米が食べられていたことが明らかになりました。 平成20年8月23日に、昔の食べ物について「とってもむかしのごはん」を開催します。
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