トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.151三光遺跡
ページID:24338更新日:2017年5月17日
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笛吹市の遺跡
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[写真12区西全景] 9月までに3.区中央・東2.区東の調査が終了し、現在は残りの1.区・2.区西・中央、3.区西の調査に入っています。2.区西からは試掘調査で大型の土器が出土しており、発掘にもさらに力が入る区域です。 縄文時代の土坑群がみつかりました。この2.区西・中央から縄文時代の土坑群がみつかりました。6月から9月までの調査で45基ほどの土坑(どこう・土に堀りくぼめられた穴)がみつかっていますが、それまでの調査区より狭い範囲に、密度が濃く存在し、現在も次々と発見されています。この土坑の中には縄文土器や石器が入ったものも数多くあります。 [写真2石棒の入った土坑][写真3扁平な石の入った土坑]
上の写真2・3はいずれも2.区西で見つかった土坑です。土坑の半分だけ土が残された状態になっています。(写真では上半分が土の残された部分) 写真2の土坑には割れた石棒(せきぼう・石柱(せきちゅう)ともいう)が埋められていました。石棒は長い棒状の磨製石器(磨いて仕上げられた石器)で、お祭りに使われたと考えられています。東日本の縄文時代前期に出現し、中期以降に発展しました。中期は大型の石棒が多く、最大2.5mにも達する物があります。後期になると小型化し、全体が丁寧に磨かれ、頭部に彫刻を施した精巧(せいこう)なつくりの物がみられるようになります。後期末からは精巧さは減り、断面もまるい形から徐々に平らな形になっていきます。今回出土した石棒は割れているため長さはわからないのですが、直径は12cmほどあり、かなり太いものが埋設されてるという印象を受けます。見た目ではちょうどCD(コンパクトディスク)程の直径です。 写真3の土坑には平らな石とその下に縄文土器の破片が埋まっていました。 1974年から1975年に三光遺跡を発掘調査した際も数多くの土坑が発見されましたが、この時も大きな土器片が扁平に加工された石をはさむ形で埋められた土坑がありました。この土坑のそばには立石もありました。また、この土坑以外にも以前紹介したヒスイ製の大珠(たいしゅ)や大型の深鉢型(ふかばちがた)土器が底に穴をあけられ、さかさまに埋められた土坑がありました。いずれも呪術的なものであることから、これらの土坑はお墓として使われたと考えられます。 本年度の調査で検出された土坑についてはまだ用途はわからないのですが、これから調査を進める中で徐々に明らかになっていくかと思います。 平安の住居跡の中に縄文の土坑が[写真4平安時代の住居跡][写真5その住居跡の中に縄文の土坑] 同時に調査を進めている2.区中央にも同じく土坑群が見つかっています。ここからは平安時代の住居跡も発見されています。これは一辺が5mほどの大型の住居です。この住居跡の北西隅からも縄文土器の入った土坑が見つかりました。縄文時代の土坑が埋まった上に、平安時代の住居が作られたものと考えられます。 下に掘り進めるほど時代が昔になることがよくわかる例です。
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