トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.0280経塚古墳
ページID:36359更新日:2016年2月8日
ここから本文です。
笛吹市の遺跡
|
経塚古墳〈写真左〉調査中の経塚古墳(正面) 〈写真右〉経塚古墳の列石基底部を上から見た様子 3世紀中頃から8世紀初めにかけて、全国に各地にさまざまな古墳が造られます。甲府盆地に限っていうと、甲府市北部や金川扇状地上などに古墳群と呼ばれるグループを作り分布が確認されています。7世紀前半に造られたとみられている経塚古墳もこの金川扇状地上に位置しています。 平成6年度に完全解体発掘調査が行われ、それまで円墳と考えられていましたが当時、東日本3基目の八角形墳ということが判明し、注目を浴びました。今回は、墳丘の裾部や内部から検出された列石について紹介したいと思います。 所在地:笛吹市一宮町国分字経塚1133(金川の森公園内) 時代:古墳時代後期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書第109集1995(H7)刊 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 列石の設置状況〈写真〉列石の状況 経塚古墳の調査では、写真を見ても分かるように、古墳の裾を取り巻く「外護列石(がいごれっせき)」や墳丘内部に2列に構築された古墳内部の列石の「中段列石」「上段列石」が確認できました。 「外護列石」や、古墳内部の列石はいずれも、墳丘内部をめぐる石列で古墳を築いていく工程の中で、降雨や地震などの理由で墳丘が崩れることを将来予測し、それを防ぐ役割を持って八角形を意識しながら設置されたと思われます。 列石の構造と設置された理由〈写真左〉上段列石の検出状況〈写真右〉外護列石と中段列石の検出状況 古墳のある地域は、金川扇状地上にあって、墳丘を盛り上げるのに適した粘り気のある土は遠くまで行かないと手に入りにくい所で、砂質土を多く使わなければならなかったようです。このため、墳丘の形成には、砂質土と少量の粘質土を細かい層に分けて突き固める版築構造を取りながら、さらに、扁平に近い自然石を利用して3~4段積みの列石を墳丘の裾部と内部に3列にわたって積み上げ、崩落を防ぐ工夫をしたものと考えられます。 近県を含めた他の事例をみると、経塚古墳の場合は全体的に列石がまわっているのに対して、一般的に外護列石などがみられる古墳では、石室入口部分付近や墳丘の一部分に設置されることが多いようです。 今のところ、外護列石が導入されることについては、古墳が築造された時代背景などから、中央からの政治的な思想や石室を造る技術が地方に伝わって行く過程で、外護列石も伝えられてきたが、横穴式石室を持つ古墳すべてで採用されておらず、一部の古墳のみで採用されていることから検証して、必ずしも古墳造りの必要条件ではなかったと推測している研究者もいます。
次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
|