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ページID:33008更新日:2017年5月11日
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笛吹市の遺跡
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〈写真〉金川流域保安林の中にある経塚古墳の調査前の様子
3世紀中頃から8世紀初めにかけて、全国各地にさまざまな古墳が造られます。甲府盆地に限っていうと、甲府市北部や金川扇状地上などに古墳群と呼ばれるグループを作り分布が確認されています。7世紀前半に造られたとみられている経塚古墳もこの金川扇状地上に位置しています。この周囲にも、急傾斜で笛吹川に向かって流れる金川の両側に古墳群がみられます。 平成6年度に発掘調査され「八角形墳」であることのほかにも、石室などを造る石材選びや石積みの技法に地域性がみられる興味深い成果も得ることができました。 所在地:笛吹市一宮町国分字経塚1133(金川の森公園内) 時代:古墳時代後期 報告書:山梨県埋蔵文化財センター報告書第109集1995(H7)刊 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 経塚古墳周辺の古墳群〈図〉経塚古墳周辺の古墳群分布図
金川の両側には四ツ塚古墳群・国分古墳群など5グループの古墳群がありますが、現在のところその分布図を見ると、経塚古墳はどのグループにも属していないように感じ取れます。しかしながら、この金川は暴れ川として有名で今まで多くの氾濫などの水害を与えてきました。このことから、やや低い土地に造られた古墳の多くは流されてしまい、微高地に造られた経塚古墳が運良く現在まで残っていたのかも知れません。 地域性のみられる石室づくり〈写真左〉経塚古墳石室内の状況〈写真右〉平林2号墳の石室
左右の写真を見比べてください。左側の経塚古墳の石室は、加工などはせずに河原にあるような角の取れた自然石を加工しないで使用しているのに対して、右側の甲府盆地北側にある平林2号墳(笛吹市春日居町)の石室では、山などにあるような角のある割れた石を利用しています。それは、あたかも、甲府城で見られる野面積み(のづらづみ)石垣に似ているような感じがします。どうして、甲府盆地という狭い範囲でこのようなこと起こったのかというと、その、答えのひとつとして被葬者集団の違いなどのほかに、古墳が造られる場所の立地条件の違いがあると思われます。 立地条件からの検証
〈写真左〉経塚古墳の立地〈写真右〉平林2号墳の立地
現代のようなトラックやクレーンなどの重量物を運搬する方法が無かった1,300年前では、古墳を造るための材料の石や土などは大勢の人達の手によって運ばれたであろうことに着目すると、比較的近い場所で、経塚古墳では近くを流れる金川から、平林2号墳では背後にある山からといったように、それぞれの地域で容易に入手できる場所から材料を調達したことが推測できます。
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